赦しゲーム作成の赦し|Forgiveness for the forgiveness game

Essay

先週、「自我をリアルにせずに楽しむ遊びを教えてください」と聖霊に祈ったら、赦しシミュレーションゲームを作るように導かれました。
選択式ノベルゲームで、「自我」か「聖霊」どちらを選ぶかで分岐する、シンプルなシナリオになっています。
ソフトをインストールし、シナリオ作成からゲーム完成まで1日半程度でしたが、作成中はほとんど自分の頭で考えた記憶がないので、本当に聖霊によってなさしめられたように感じています。
Be done throughって、こういうことを言うのか~…

遊んでみたい方はコチラからどうぞ。
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FORGIVENESS GAME with The Holy Spirit

そして本題はここからです……。

ゲームが出来るまではまさしく「神の子」状態

ゲームが完成するまで、私の心はとても平安でした。

というか、ここ二週間くらい「静かに爆笑する」という表現以外に自分の心を言い表せない状態が続いていました。
人生でかつてないほど、このうえなくしあわせなのに、とてもニュートラルで、心が静かでした。そして心の拡がりを感じていました。

「神の子」という言葉がよぎるだけで喜びがあふれ、些細なことがたのしくて頻繁に笑い転げ、「罪はない」ということがこれほどしっくりきたのは初めて、という状態が継続していました。

悲劇とのコントラストによって相対的に幸福を演出する「自我のしあわせ」とはまったく違うもので、脳内ホルモンの上がり下がりによる興奮とは関係ない「しあわせ」を初めて体感し、「これがほんとうのしあわせだったのか」と、気付いたら勝手にニコニコしている状態でした。

家族に対して、「私はこれまで全く利己的にしか彼らを愛してこなかった。彼らは私の目覚めに貢献するために、わざわざ家族になってくれたのに」という感謝の気持ちが沸き上がって、Sくんとみっちゃん(6)に一日何回もありがとうのキスをしにいきました。
(もともと感情表現がラテン気質なので、ももこは日本人としてはかなりスキンシップ好きなキャラクターですが、それにしても頻繁に)

その期間に書いた日記を抜粋します。

「ウソの私(自我)」を喜ばせていても、本当には幸せにはならない。
「ウソの私」の演じる物語に、「本当の私」はだまされないから、必ず心の奥が飢えていて、箴言に出てくる蛭の姉妹のように「もっともっと」と言い続ける。
私は積み上げた財宝の上に寝転んでも満足しない。

私は霊であるから、この世のものでは満足できない。
私はこの世のものではないから、この世のものでは満足できない。

これまで、なんて無駄な時間を過ごしていたんだろう
私はこの世のものに、全く興味がなかった!

「本当の私」の喜びにだけ投資したい。

まさしく「神の子」の自覚が強くなっている状態で、ゲーム作成中は延々と映画「Brother Sun, Sister Moon」の主題歌をBGMにして聞いていました。

(↑ この曲:Fratello Sole Sorella Luna -Dolce è Sentire)

ところがどっこい、ゲームが出来あがった途端、私は猛烈に自我の衝動が湧き上がるのを感じました。

ゲームが出来あがった途端、自我がキョエエエ

このゲームは、ゲーム用にサーバーを提供してくれる外部サイトに自作プログラムを丸ごとアップロードし、そのURLを張り付けるという方法で公開しています。

が、はじめは自前のサーバーにアップして動作させようと四苦八苦していました。
朝の4時半くらいまで眠らずに作業しましたが、どうもうまくいかない。
「ブラウザゲームではなくアプリ化したら配布できるのでは?」と考え、アプリ化を試みるなど、もっとややこしいことをして頭を悩ませ、翌日Sくんからツッコミをもらうまで自我の考えに完全に没頭していました。

S「自分のPCでは遊べるんでしょ?なんで自分で楽しむだけじゃだめなの?オンラインで発表することに意味があるの?」
ももこ「!!!」

そう、ももこはこのゲームを発表することで、誰かにほめられたくなってしまったのだった。

《自分の手柄》にしたい。
ほめてほしい、承認されたい、認められたい。
愛されたくて仕方がない。

自我
私は神の子ではない、不足している、足りない。
だから認められたい、ほめられたい、愛されたい

目を血走らせて承認欲求のままに徹夜でアップロード方法を探し、それに気づいて猛烈に罪悪感を感じて落ち込みました。
動作テストがてらゲームを何回もプレイしては「私は神に勝ちたいって思ってるんだよォオオ!!!」と泣く。正直に選択肢を選ぶと、どうやっても《聖霊ハンモックの祝福されし神の子こひつじ》が出てこない。
シナリオが単純なのでどれを選べばいいんだかわかってるのに選べない。

なんとかしてゲームを発表し、《私の手柄》にしたくてたまらない。承認され、個別のももこがほめたたえられることを欲してやまない衝動が抑えられない。

さらに、「そんな私は罪がある」と自分を裁きたくてたまらない。
自我をリアルなものにしたい。つまり、神に勝ちたい。
私は自分が神に勝ちたくてたまらない。

「自我をリアルにせずに楽しむ遊びを教えてください」と祈って作るよう導かれたゲームなのに、作成終了と同時に自我の闇が爆発してどうしようもなくなりました。

結局いつものように台所で土下座して泣きながら聖霊に祈りました。
(なんだかんだで、これが一番早く楽になれるとだんだんわかってきた…(笑))

「聖霊、助けてー!!!」

さっそく聖霊からレスポンスがありました。秒で。

ホーリーなスピリット
自分で何とかしようとするから落ち込むのです

(ところで、どうしようもなくなったときほど、わかりやすくお返事をくれるので、「なんでどうしようもないときにしか声をかけてくれないんですか」と以前私が聖霊に文句を言ったら、「そういうときじゃないと、あなたは私の話を本気で聞く意欲がない」と言われました。確かに…)

聖霊来りて記憶を飛ばす


聖霊に任せて修正してもらえるのを、信じてないから落ち込むんだよ。
自分でなんとかしようとするから、裁くんだよ。

そういうニュアンスのインスピレーションが届きました。

あとはやってくれるから、聖霊に信頼して任せておく。
湧き上がる感情は罪として裁かず、出てくるのを許可して許可して、ドンドン出てくるのを全部聖霊にわたす。
《私》じゃ手に負えないから、聖霊に任せる。

聖霊に、「こんな思いが湧いてきてしょうがないけど、これが間違っているとわかりたいから教えてください。あとは任せた」って頼んでおく。

………

そのインスピレーションを受け取った後、唐突にまた例の深くて静かな笑いが、平安な気持ちと共に、込み上げてきました。

「私は神には勝てません」

しばらく笑ったりお茶を飲んだりしてリラックスしていると、また聖霊から話しかけられた感じがありました。

………

それは、「あなたの罪」ではないのです。
個別のももこというキャラクターに属する罪ではなく、「全体の一なる私」の罪悪感が、ももこというキャラクターを通して、個別具体的な出来事として投影されているだけです。
それは、「神から離れた」という巨大な勘違いを、分裂した心が別の表現で映し出しているだけです。
(奇跡に難しさの序列はない、とはそういうことです)

その《罪》を、自分の個人的な未熟さに属するものであると考えるべきではありません。
その考えは、自力で未熟さを克服しようという考えにつながります。
そして、自力で未熟さを克服しようという考えは、《罪》をリアルにします。

(※言葉で聞こえるというより概念がくる感じなので、意訳だよ。受け取り間違えているかもなので、ご自身のハートに聞いてね)

…………

自分を裁こうという衝動は、「《私》がやっちまった」と思い込ませることで《私》をリアルにさせようとしている、自我の防衛の形である。
「やっちまう力」が、あたかも《私》にあるかのように思わせているだけ……。

聖霊
あなたに「やっちまう力」はないです
混乱する羊
 《私》、やっちまってないの?! 
聖霊
あなたに「神から離れてしまう力」はないです
神に負けし羊
 やっちまってないのね!!《私》、神から離れられてないのね?! 
聖霊
あなたは神に勝てません。だから、あなたは『神に創造されたままのあなた』です。つまり、神の子です
神の子
 そうだったかーーー!!!! 

↑この贖罪コントみたいなの、マジで毎回やってる。
どれだけ神に勝ちたいのかと思うよね……。

神から離れることはできないのだから、神の子は世界を作っていない。
つまり、《私》が体験したと自覚している個別具体的な内容のイベントは、そもそも「起きてなかった」。

スコ――ン

と、何かが空白になった感じがして、握りしめていた感情が、音もなく忽然と消えました。

大事に握りしめていた自我の承認欲求が。

この《罪》を自分でどうにかしたいというジャッジが。

神に勝つことは出来ないし、そもそも神から離れていなかったし、何も起きてなかったんだ。
とハッとした途端に。

神の子
なんでそんなことを考えていたのかわからん。何が苦しかったんだったっけ?

これまでも何度も、こういうSFみたいな「感情記憶の喪失」を体験しています。
そのたびにびっくりして、「何も起きてなかった!」「奇跡ってマジで時間飛び越えるんやな!!」と感動しているのですが。

こういう体験をしたときに共通しているプロセスは下記のとおりです。

①自我の闇が出てくるのを抑制せずに全部出し切る。

②それに対する自分のジャッジの気持ちも全部出し切る。

③「私にはどうにもできないから、もう聖霊がやってください!!無理です!!」
と聖霊に丸投げして、

「自分で何とかしようとする」のをあきらめる。

④「聖霊と共に、別の見方がしたいです」と本気で祈る。

ところで、この奇跡体験が「まったく私の手柄ではない」ということを、ここで強調しておきたいと思います。

ももこは「マジで私にはどうにもできんから助けて」しか言ってない……

おそらく「プライドを捨てて、自分の情けなさをすべて晒してお願いする」というのが大切なんだけど、これは「神に勝ちたい」と少しでも思っているときはできない……

自分で何とか出来ると1ミリでも思っているうちは、「神に勝ちたい」という気持ちの方が強いので、ここまでのビックリ奇跡体験は起こらないみたい。

自我は、「赦し」さえ自分の手柄にしようとするのね。

自分の手柄にしようとしたら、もれなく《罪》がリアルになってしまう。

「自分の手柄」と、「自分の《罪》」はワンセットである。

忘れたくないので太字にした↑

神は、あなたを知っている。
神は常にあなたを、今、知っている通りに知っているので、何かを思い出すということはない。聖なる瞬間は知覚全体を過去の外へもち出し、兄弟たちを判断する目安としてあなたが築き上げてきた判断基準を取り除くことにより、神の知り方を反映する。
ひとたびそれが取り除かれたなら、聖霊は自らの判断基準をその代わりとする。
聖霊の判断基準とは、単に、神そのものである。
聖霊の超時性はここだけにある。
なぜなら、過去から自由な聖なる瞬間においては、あなたには愛が自分の中にあることが分かるので、自分の外を眺めて愛があると思えた場所から、罪悪感を感じながら愛をつかみ取ってくる必要がなくなるからである。

「奇跡講座」上巻第十五章 Ⅴ-9| 中央アート出版社

ところで、この話を載せたのは聖霊に促されたからです。

ええかっこしい羊
 こんな情けない話載せます?
聖霊
情けない話の方が、兄弟の役に立ちます
そうなのね。
今後も情けない話を載せていこうと思いまーす。
Jと一緒に、自我ウンコを流していきたい所存です。
I prayed to the Holy Spirit to “teach me how to have fun without making the ego real”, and HS led me to make a forgiveness simulation game.
It’s a novel game with a simple scenario that branches depending on whether you choose the “ego” or the “Holy Spirit”.
It took me about a day and a half to install the software, create the scenario, and complete the game, but since I barely remember thinking for myself during the making process, I really feel as if the Holy Spirit made me do it.
This is what I mean by “be done through”…

If you want to play with it, please click here.
It’s link-free, copyright-free, and you can share it without reporting.
FORGIVENESS GAME with The Holy Spirit

And, here’s the main story: …….

I was truly a “child of God” until the game was ready

My mind was at a very peaceful place until I finished making the game.

Or rather, for the past two weeks, I have been in a state of mind that I can only describe as “quietly laughing”.
I’m happier than I’ve ever been in my life, and yet I’m so neutral and quiet. And I felt my heart expand.

“The mere mention of the words “Son of God” filled me with joy, I laughed often at the smallest things, and I had never felt so comfortable with “sinlessness”.

It was the first time I experienced happiness that had nothing to do with the rise and fall of hormones in my brain, and I found myself smiling on my own, wondering if this was the real happiness.

To my family, I thought. “I had only ever loved them selfishly. They went out of their way to become my family in order to contribute to my awakening.” I felt so grateful that I went to kiss my husband S and Micchan (6) several times a day to say thank you.
(Because of my Latin temperament, Momoko is quite a skinship-loving character for a Japanese, but even so, I did it frequently.)

Here are some excerpts from the diary I wrote during that period.

“Pleasing the false me (ego) does not make me truly happy.
“Because the real me is not fooled by the stories that the false me plays out, I will always be hungry deep inside, and like the leech sisters in Proverbs, I will keep asking for more and more.
I am not satisfied with lying on top of my pile of treasures.

I am not satisfied with the things of this world because I am a spirit.
I am not of this world, so I cannot be satisfied with the things of this world.

What a waste of time I’ve been spending!
I had no interest in the things of this world!

“I only want to invest in the joy of the “real me”.

I was listening to the theme song of the movie “Brother Sun, Sister Moon” as background music while makeing the game.

(↑ Fratello Sole Sorella Luna -Dolce è Sentire)

As soon as the game was finished, however, I felt a fierce urge of ego welling up in me.

Once the game-makeing was finished, my ego turned into a Tyrannosaurus

This game is published by uploading the entire self-made program to an external site that provides a server for the game, and attaching the URL to it.

But at first, I was struggling to upload it to my own server and make it work.
I worked without sleep until about 4:30 in the morning, but it just didn’t work.
I thought, “Wouldn’t it be possible to distribute it if I made it into an application instead of a browser game?” I was completely lost in my own thoughts until I got a tsk tsk from S the next day.

S : ​You can play it on your own PC, right? Why can’t you just enjoy it on your own? What’s the point of presenting it online?”
Momoko:!!

Yes, Momoko wanted to be praised by someone by presenting this game.

I want to take credit for it.
I want to be praised, I want to be approved, I want to be recognized.
I want to be loved, I can’t help it

Ego
I am not a child of God, I am insufficient, I am not enough.
So I want to be recognized, praised, loved.
With bleary eyes and a desire for approval, I stayed up all night looking for a way to upload the game, and when I found it, I felt fiercely guilty and depressed.
I played the game several times to test its operation and then cried, “I want to win against God, ooooh! “I cry.
When I honestly chose the options, no matter how I tried, I couldn’t find the “Blessed Child of God, the Sheep of the Holy Spirit Hammock”.
The scenario is so simple that I know which one to choose, but I can’t.

I’m dying to announce the game somehow and take credit for it. I can’t resist the urge to be approved and to have my individual Momoko praised.

Furthermore, I can’t resist the urge to judge myself, saying, “I’m guilty of that”.
I want to make my ego real. In other words, I want to win over God.
I can’t wait for myself to win God.

I was led to create this game after praying, “Please teach me how to enjoy playing without making my ego real,” but as soon as I finished makeing it, the darkness of my ego exploded and I couldn’t help myself.

As usual, I got down on my knees in the kitchen, crying and praying to the Holy Spirit.
(After all, I’m gradually learning that this is the quickest way to get relief… lol)

“Holy Spirit, help me!”

I immediately got a response from the Holy Spirit. In a second.

HS
You’re depressed because you’re trying to figure it out on your own.

(By the way, when I complained to the Holy Spirit before, “Why do you only talk to me when I’m in trouble and can’t help myself?” HS said, “Unless you’re in serious trouble, you have no desire to really listen to me”. Indeed…)

the Holy Spirit work, my memories gone away

You get depressed because you don’t trust the Holy Spirit to fix it for you.
You judge because you try to do something about it yourself.

That’s the nuance of the inspiration I received.

I’ll trust the Holy Spirit to do the rest and leave it to HS.
Don’t judge the emotions that come up as sin, but allow them to come up, allow them to come up, allow them to come up, and give them all to the Holy Spirit.
I can’t handle it, so I leave it to the Holy Spirit.

I ask the Holy Spirit, “I can’t help but feel these thoughts coming up, but I want to know that this is wrong, so please tell me. I’ll leave the rest to HS.
……

After receiving that inspiration, I suddenly felt the deep, quiet laughter feeling again, along with a feeling of peace.

“I am no match for God.”

After relaxing for a while, laughing and drinking tea, I felt the Holy Spirit speaking to me again.
………
It is not “your sin”.
It’s not a sin that belongs to the individual character Momo, but it’s just the guilt of “I, the One of the Whole” projected as a separate concrete event through the character Momo.
It is just another expression of the divided mind projecting the huge misunderstanding of “being separated from God”.
(That’s what I mean when I say that there is no order of difficulty in miracles.)

You should not think of the “sin” as belonging to your personal immaturity.
That idea leads to the idea of overcoming immaturity on one’s own.
And the idea of overcoming immaturity by oneself makes the sin real.

※(It’s more of a concept than an audible word, so I’m just translating. I may have misinterpreted it, so please ask your heart.)
………

The urge to judge oneself is a form of ego defense, trying to make “me” real by making us believe that “I” did it.
It’s a form of ego defense, trying to make “me” real by making me believe that “I” did it…….

HS
You don’t have the power to do it.
Confused sheep
 I haven’t done anything wrong?! 
HS
You have no power to separate yourself from God.
Sheep Defeated by God
 I didn’t do it, did I?! I mean, I couldn’t leave God!? 
HS
You can’t win against God. Therefore, you are ‘as you were created by God. In other words, you are a child of God.
child of God
 Oh yeah… !!!! 

↑Every time I have this “comedy of forgiveness” kind of conversation with the Holy Spirit. Many times a day.
How badly I want to win over God. ……

The child of God does not create the world, because it cannot be separated from God.
In other words, the individual specific events that “I” am aware of experiencing did not “happen” in the first place.

As soon as I realized that…

I felt something blank in my mind, and the feelings I had been holding on to disappeared without a sound.

The ego’s desire for approval that I had so carefully clutched onto.

The judgement that I wanted to deal with this “sin” by myself.

I couldn’t win against God, I hadn’t left God in the first place, and nothing had happened.

innocent lamb
I don’t know why I was thinking about that. What was it I was suffering from?
I’ve experienced this kind of science fiction-like “emotional memory loss” many times before.
Each time, I was surprised and thought, “Nothing happened! “Miracles really do jump through time, don’t they! I’m impressed.

The following is a common process when I have such experiences.

1) Letting out all the darkness of the ego without suppressing it.

2) Letting out all of my judgments about it.

3) “I can’t do anything about it, so please do it, the Holy Spirit! I can’t!” and throw the whole thing to the Holy Spirit.

I give up to figure it out by myself.

4)And praying “I want to see things differently with the Holy Spirit.”

By the way, I’d like to emphasize here that this miraculous experience is “not my credit at all.

Momoko only said, “Seriously, I can’t do anything about it, so help me Holy Spirit.” ……

Probably the most important thing is to “let go of my pride and expose all my pettiness and ask for help,” which I can’t do when I’m even remotely trying to “win God over”: ……

It seems that as long as I think for even a millimeter that I can do something on my own, the desire to “win God” is stronger, so I can’t have such a surprising miraculous experience.

The ego tries to take credit for even forgiveness.

If I try to take the credit, the “sin” will definitely become real.

“My credit” and “My sin” are one and the same.

↑Boldface notation so as not to forgetup

God knows you _now._ ²He remembers nothing, having always known you exactly as He knows you now. ³The holy instant reflects His knowing by bringing all perception out of the past, thus removing the frame of reference you have built by which to judge your brothers. ⁴Once this is gone, the Holy Spirit substitutes His frame of reference for it. ⁵His frame of reference is simply God. ⁶The Holy Spirit’s timelessness lies only here. ⁷For in the holy instant, free of the past, you see that love is in you, and you have no need to look without and snatch love guiltily from where you thought it was.

By the way, I posted this story because the Holy Spirit prompted me to do so.

acting cool
should I publish such a pathetic story?
HS
A story about you being pathetic is more useful to your brothers than a story about your ego being active.
Is that so?
Well, I’ll try to post more shameful stories. hahaha
With J, I want to flush my ego!
flush