実は私はあなたの子じゃないのよ

日常

明日、保育園の卒園式を迎えるみっちゃん。
おててをつないでランラランの帰り道、神妙な顔で告白してきた。

み「みっちゃん実は…パパとママの子じゃないんだ…」
私「えっ、誰の子?」
み「実は、神さまの子供なのよ」
私「…そ、そうね…!?」
み「あと、ママもパパも全員神さまの子供なんだよ。お月さまもあの車も信号機も電気も、全部神さまのなんだよ。誰も『自分の』じゃないんだよ」

びびった。

この人はちょくちょく「いま絶対私の心を読んだね?」という言動をかますのですが、私は最近ずっと「人生のすべてから所有格を外すこと」について考えていたのです。

人生の苦しみの発端は、「私の○○」という所有格のついた意識から来るのでは?という…

私の肉体
私の時間
私の考え
私の家族
私の子供
私の伴侶
私のお金
私の仕事
私の責任
私の問題
私の苦しみ
愛すべき「私の」特別なアイデンティティー

「私の」という所有格を「その」に入れ替えて、神に捧げ返すことで、それらを「聖なるもの」として捉え直すことになります。

差し当たって、
「みっちゃんは『私の』子供ではなく、『神さまの』子供である」
という宣言をご本人からされてしまったので、
「私の子じゃないとかそんな無責任なこと言えない」みたいな上っ面の言い訳は出来なくなってしまった。やべー

ちなみに旦那さんからもらったペアリングは、一年前はあんなに嬉しかったはずなのに、全然指にはめられなくて自分でも困惑しています。 
今は湿疹も収まりましたが、指輪をつけることに「なんか、ちがうかんじ」がする。

しかし「『私の』旦那さん」という目で彼を見ないようにしたら、なぜかいつもより凛々しく見える謎現象が起きています。

私は彼らを所有していない。
私は彼らを所有していない!

彼らは「私の」家族ではない。
彼らは「私」の家族ではない!

彼らは「神さまの」家族。

私は何ひとつ「私の」ものを所有していない。
「私」はわたしの本性ではない!

わたしは神さまのものです。
だから
わたしには何ひとつ足りないものはない。