「絶対に目覚めたくない」I never want to wake up

ACIM
   

English:”I never want to wake up”

 

A year of learning ACIM…

To be honest, I didn’t think it was such a dangerous teaching.

I don’t want to unnecessarily scare people who haven’t done this course, but if you really work on this learning, it is certain that you will be overwhelmed by “strong ego resistance”.

It’s too radical and I don’t feel like recommending it to friends and acquaintances unless I hear from the other side.
-No, I wanted to recommend it, until a while ago.

Of course, this learning is good for those who are seriously desperate to “know the truth, or die if couldn’t know”, and I have no intention of quitting this learning.

However, I feel that there is no need(can’t) for evangelistic writing.
   

It’s not just the radical reason such a “everything is one mind and there is no other person to indoctrinate.”

This is because “this learning is useless except for those who are seriously hungry to wake up”, and there are few such people in the first place.
And those who are so hungry for awakening will probably learn by themselves, even if I don’t write in a kind way.

It was clear that I had only wanted to use ACIM as one of the tools to preserve the ego and maintain a higher level of ego.

In the meantime, like many spiritual learnings, ACIM remains in the position of “spiritual wisdom that makes life happy.”

However, as soon as I seriously tried to wake up, I was in a “terrible resistance of the ego”.

This is also ACIM learners … or rather, all the people who are seriously trying to wake up to the “One” speak.

The only thing an individual wants fundamentally is to resist it, despite the fact that he has a unified consciousness.
We always seek a sense of unity, but only in a way that prevents its discovery.

-Excerpt from Ken Wilbur’s “Boundaryless”

I have written various thought transitions on this site based on the learning of ACIM, but I can only say “I found out that I do not understand anything”.

As the learning progressed and the light gradually came in,
The time will come when you will come into contact with the ontological sense of worthlessness that you have believed in.

In order to maintain this mechanism (world), the ego has diluted the poison of huge guilt and worthlessness and continued to drink it, but when “I” noticed it, the “world of projection” will disappeare. “I” will end up.

So, when you really try to wake up, a terrible horror raises your sword. By all means, the ego tries to prevent it from awakening.

Interestingly, ACIM “serious” practitioners suffer disasters in their learning.

A high percentage of ACIM Mighty Companions have “negative” experiences from a so-called general point of view, such as serious mental illness or intractable illness, self-bankruptcy, or divorce experience of the person or family.

I haven’t taken statistics, but at least the process of dismantling the ego is very painful.

This is because the worldly “happiness” and “valued things” are values ​​based on ego “separation.”

Awakening is not complete as long as you have an ego perspective, that is, a desire for human happiness.

A social success,
the harmoniousness of the family,
the “high level” of spirituality,
Such things are just values ​​in the realm of “ego”.

And as long as you want to keep it, you can’t quite understand what’s in ACIM.
“I started learning ACIM to improve my life, but it puts my life in anger and pain and in chaos.”

That’s probably a common story for serious learners …?

When I looked at the web site of the teachers of ACIM, it was written only beautifully, so I was wondering, “Is my way of learning wrong?”

However, to hear the story of Mighty Companions,
“People who are more serious about awakening go through situations where face tremendous resistance and aggression of the ego.”

I came to be convinced that.

In other words
The more we really try to wake up, the more the Holy Spirit moves towards “purification of perception.”
However, I presume that the more the light comes in, the more pain it will cause.

Of course, it is not the work of the Holy Spirit that causes this pain.
“I Never wake up !!!”
That is the resistance of the ego.

However, it’s super tough because I’ll be suffering during forgiveness. If possible, I want to quickly soften this resistance …

I want to soften it by seeing it with the Holy Spirit, not by coping therapy by ego “projection” or “repression”.

“I”, who is in suffering now, is walking step by step on the path to awakening with the Holy Spirit.

I will not stop resisting until I realize that “I” does not exist. I would like to dissolve the obstacles to the perception of love by carefully identifying each of these “screams for love.”

“I” can’t do it,
I think this is “forgiveness”.

I will leave everything to the Holy Spirit.
  

奇跡講座を学んで一年…

正直、こんなにヤバい教えだとは思ってなかった。

奇跡講座やってない人をむやみにビビらせたいわけではないのですが、この学びは本気で取り組んだら「強烈な自我の抵抗」により七転八倒することが確実な学びです。

ラディカルすぎて、向こうから聞いてくるのでない限り、友人知人に薦めようという気になれません。
ーーいや、お薦めしたかったのよ、ちょっと前までは。

もちろん、「本当に本当のことを知りたい、知らないと死ぬ」という本気で切羽詰まってる人には向いてる学びですし、この学びを辞める気もありません。

だけど、今後伝道的な書き方は必要ないな(というより出来ない…)と感じています。

「すべてはone mindであり、教化しなければならない他者などというものは存在しないから」…というラディカルな理由だけでなく、

これは「目覚めたいと本気で渇望する人以外には無用の学び」であり、そんな人はそもそもほとんど存在しないから、という理由からです。
そして、そこまで目覚めを渇望する人は、親切な書き方をしなくても、おそらく自力で石にかじりついても学ぶからです。

さらに、
私はこれまで、奇跡講座を自我を温存する道具の一つとして使い、高次元の自我を維持していたかっただけなんだな、とハッキリわかりました。

そうしているうちは、数あるスピリチュアルな学びと同様、奇跡講座は「人生をHAPPYにしてくれるスピリチュアルな知恵」的な位置付けに留まります。

でも、本気で目覚めへと向かおうとした途端、「自我の凄まじい抵抗」にあいます。
これは、奇跡講座の実践者…というか「真我」へと本気で目覚めようと試みる人たちのことごとくが、口を揃えて話すことでもあります。

個人が根源的に求めているのは、唯一、統一意識であるにも関わらず、当人が唯一行うのはそれに抵抗することである。
つねに統一意識を求めながら、唯一その発見を阻止するような形で求めるのである。
ーーケン・ウィルバー「無境界」より抜粋

私はこのサイトで、奇跡講座の学びをベースに様々な思考の変遷を書いてきたけれど、「なんにもわからないことがわかった」としか言えません。

学びが進み、だんだん光明が差し込んでくるに連れ、
自分が信じてきた存在論的無価値感に触れてしまう、という時期が訪れます。

自我はこの仕組み(世界)を維持するために、巨大な罪悪感・無価値感という毒を薄めてずっと飲ませ続けてきたわけですが、「私」がそれに気付いたら「投影の世界」が無くなってしまいます。

だから、本気で目覚めに向かおうとすると、凄まじい恐怖が鎌首をもたげるのです。ありとあらゆる手段で、自我は目覚めることを阻止しようとする。

面白いことに、奇跡講座を「ガチで」やっている人には、学び始めてから本人あるいは家族の重大な精神疾患や難病、自己破産、離婚経験などいわゆる一般的な視点から言うと「ネガティブ」な経験をする人の率が高いようです。

統計をとったわけではないけれど、少なくとも自我の解体というプロセスには多大な苦痛が伴います。

なぜなら、この世的な「しあわせ」や「価値あるもの」というのは、自我的な「分離」に基づく価値観であるからです。

自我的な視点での、つまり人間としての幸福を望む心がある限り、目覚めは完了しません。

人からうやまれるような社会的成功だとか、
家庭の円満さとか、ハイレベルな霊性だとか、
そんなものは「自我」の領域における価値観に過ぎない。

そして、それを維持したいと望む限り、奇跡講座に書いてあることはまったく理解できません。

「人生を良くするために奇跡講座を学び始めたのに、そのせいで人生が怒りと苦痛にまみれ、混沌状態に陥る」
というのは、おそらく真面目な学習者あるあるなんではないだろうか…

コースの教師の皆さんのサイトなどを見てると、割とキラキラしいというか、ぶっちゃけるとキレイゴトばっかり書いてあるので、「私の学び方は間違っているのだろうか?」と思ったりしていたのです。

しかし、Mighty Companion(コース学習者仲間)の皆さまの話を聞くにつけ、
「目覚めへの本気度が高い人ほど踏んだり蹴ったりな状況を通過して、自我の凄まじい抵抗と攻撃性に直面する」
ということを確信するに至りました。

つまり、
本気で学ぼうとするほど、聖霊は「知覚の浄化」に向けて動いてくれるので、光明が差し込むほど苦痛が増す…ということかと推測します。

もちろん、この苦痛を引き起こすのは聖霊の仕業ではありません。
「絶ッッッッ対に、目覚めてなるものか!!!」
という、自我による抵抗です。

とはいえこの間はずっと苦しむことになるので、超しんどい。なるべくなら、この抵抗をすみやかにやわらげていきたい…

それも、自我的な「投影」による対処療法ではなく、聖霊と共に見ることによって。

今苦しみの中にいる「私」は、聖霊によしよしされながら、目覚めへの道を一歩ずつ歩いていっています。

「私」は存在しないとわかるまで抵抗をやめないであろう、この「愛を求める叫び」を、ていねいに抑圧せずひとつひとつ洗い出していくことによって、愛への知覚を阻むものを溶解させていきたい。

「私」にはできないことですが、
これこそが「赦し」なのだと思う。

すべて聖霊に任せちゃおうと思います。

✧◝(⁰▿⁰)◜✧

以下、中央アート出版「奇跡講座」ワークブックより抵抗に関する文章を引用します。

この「ワークブック」が提示する概念の中には、信じがたいものや、驚愕させられるようなものがあるかもしれない。そうしたことは問題ではない。あなたはただ、指示される通りに、その概念を適用するだけでよい。・・・・ただ次のことだけを覚えていなさい。あなたはこれらの概念を信じる必要もなければ、受け入れる必要もなく、歓迎する必要さえもない。あなたが断固として抵抗するような概念もあるかもしれない。  (W-in.8:1-2; 9:1-2)

あなたの心は、もはや、まったく訓練されていないわけではない。あなたには、今日用いる演習の形態を学ぶための用意は充分にできているが、強い抵抗感が生じることがあるかもしれない。その理由は非常に単純である。このやり方で練習するとき、あなたは自分が今信じている一切のものごとと、自分が作り上げたすべての考えを後にすることになるからである。正しく言うなら、これは地獄からの解放である。しかし、自我の目を通して知覚されるならば、それはアイデンティティーを失うことであり、地獄に落ちることにほかならない。 (W-pI.44.5)

地獄と天国がひっくり返っちゃってる「知覚が狂った状態」で、「しあわせ」を望んでも、悲惨なことにしかなりません。

知覚の浄化されていない自我は、地獄を継続させることを望んでいるのです。なぜなら自我には聖霊の語る天国が地獄に見えてるから。

自我は「私」というアイデンティティが満たされることを望んでいるのに、
聖霊は「私」なんてものは幻想である、とムチャクチャを言いやがるからです。

天国と地獄がひっくり返っちゃってる知覚を「正しい知覚に戻す」プロセスが「赦し」なので、「自我のレベルでそれが怖くないわけがない」。

私がこうしてことあるごとに
ギョエエエエ༼;´༎ຶ ۝ ༎ຶ༽
と泣き喚いているのは、学びのプロセスとして妥当なことなのだ、と安心しとこうと思います。

ほとんど毎日泣いてるし、3日に一度は大号泣だぜ。(笑)