霊媒体質とはなにか 2

エンパス

その1はこちら

心理学者のリズ・ブルボーによれば、霊媒体質は「『見捨ての傷』を持った『依存する人』の仮面を持つグループ」に分類されます。

「依存する人」とは、何らかの依存症になりやすく、「犠牲者」になりやすい精神構造をしている人です。
幼い頃、同性の親に拒絶され、さらに異性の親に見捨てられるという体験をしている人が多いそう。

「なにか問題が起きて私が犠牲者になれば、可哀想に思った周囲の人が愛してくれるのでは」という不健康で幼い信念があり、そのせいで次々と不幸な問題を引き当てます。

見捨てられることが最もつらいので、そうならないために一生懸命、無意識に問題を作り出してしまいます。

誰かのために奉仕することが好きなので、一見献身的ですが、自分の承認欲求を満たすためであることが多く、注目されてチヤホヤされたり、居場所があることによって安心します。

霊媒体質は、低血糖症や糖尿病といった膵臓や副腎のトラブルに加え、喘息や気管支トラブルになりやすい傾向があります。

他者の思考に無防備すぎるため、広場恐怖症に苦しむ人も多いそう。

何にせよ、被害者意識が強いため、認知の歪みにより生きることが困難です。

ここまで書くと、霊媒体質が特殊能力を持ったスーパーマン的な性質であるとは思われないかと思います。

むしろ、「見捨てられることへの恐怖」から派生した「見捨てられないためのサバイバル体質」とでも言えるでしょう。

まだ癒やされていない霊媒体質の人は、常に人の顔色を察知し、相手にくっついていたがる不安定な子供のようなところがあります。

「同性の親に拒絶され、さらに異性の親に見捨てられるという体験をしている」人が、霊媒体質になり得ます。そして、その傷は、親から子へと引き継がれていきます。

霊媒体質の人の恋愛や結婚事情が、辛く困難になりがちなのも、この傷によると推測することができます。
私達は、親との関係を、パートナーに投影するからです。

霊媒体質のコントロールのために最も重要なことは、実は霊能力やエネルギーワークの訓練ではありません。
「親との関係性における癒やし」と、内観するための精神修養です。

スピリチュアル産業の「癒やし」が表面的になりやすいのは、立ち現れる様々な問題の根底にある、根本原因をスルーするからだと言えます。

根本原因とは、親との関係性に秘められた傷です。

「何でもかんでも親との関係性のせいにするな」という意見も予想されますが、ここでいう「親」とは、肉体における生物学的な親のみを指すわけではありません。

ここでいう親とは、「『自己の成り立ちに甚大な影響力がある絶対的な存在』という概念」を意味します。

生物学的な「親」は、その象徴に過ぎないのです。

ヒプノセラピーやアカシックリーディングなどで潜在意識の記憶を辿ると、傷の多くは現世の親子関係のみならず、過去生にも関係があることが見えてきます。

心理学的側面からは、幼児体験による傷とされますが、主観を述べると、私は自分の魂の傷が最も癒やされやすくなるよう、傷を浮き上がらせてくれる環境を自分で選んで生まれてきたという気がしてなりません。

魂の傷が癒えるまで、魂は、繰り返し、似たような環境で学び続けることになります。

そういう観点から親子関係を捉えなおすと、
「お母さん、お父さん、ありがとう!!!」
という驚きと感謝の喜びが、ハートからブワーーッとわきあがり溢れてきます。 

それは、私を傷つけた相手としてではなく、私から嫌われることをいとわず、私の魂の癒やしのために、わざわざ悪役を買って出てくれた愛の存在であると、再定義されるからです。

魂の傷は、さらに辿ると、「絶対普遍の愛(叡智/真実/神)」と自分との関係における分離・断絶への傷であることが見えてきます。

霊媒体質の人の求める究極の癒やしは、「絶対普遍の愛との信頼関係の回復」です。

たとえば、沖縄には「巫病」という言葉があります。
巫病とは、「シャーマン(かみんちゅ)になる人は神様に呼ばれているから、神事をすれば癒やされるが、それまではたくさん苦しむ」という概念です。

巫病を患うシャーマン予備軍は、霊媒体質の人たちです。

霊媒体質は、心が癒やされるプロセスとして、様々な霊的存在との交流を通過しますが、それはすべて「絶対普遍の愛」の片鱗を、霊的存在に垣間見るからです。

ここまで、
霊媒体質は「被害者意識が強く、認知の歪みを抱えた、メンタルを病みやすい存在」として定義してきました。

が、「神、そして親との信頼関係を回復した霊媒体質者」は、一気に物事の捉え方が様変わりします。

傷が癒えた喜びが、内側から滾々と湧き上がる泉のような、至福の感覚に浸るようになります。

「人に認められたい」「独りになりたくない」といった、穴の空いたバケツで愛を汲むような不足感の動機がなくなり、人生を楽しむことを自分に許せるようになります。 

そして、「絶対普遍の愛(神)との信頼関係」を回復することで、世界を見るフレームワークが「被害者意識」から「ありがとうワールド」へと逆転します。

なぜなら、「神との信頼関係」は、それ以外のすべての関係性の鋳型になるからです。

親との関係性を癒やし、「自分は世界の犠牲者である」という潜在的な信念が「自分は世界から祝福され、祝福を返す存在である」という信念へと入れ替えられるからです。

被害者意識が癒やされるにしたがって、認知・知覚の歪みが矯正され、愛から世界を見られるようになるのです。

さて、癒やされたところで、ヴァイブレーションに敏感な体質自体は変わりません。

そして、霊媒体質者の多くにとっては、やはり「絶対普遍の愛」の光に触れていることが、生きる喜びそのものになります。

その特性は、抽象度の高い概念の本質を見極めるために発揮され、最も抽象度の高い「絶対普遍の愛」に対して、「ずっとここに触れていたい」という欲求となります。

日常生活の中で、いかにして「ずっと愛の中にいる状態」をキープすることができるか…

霊媒体質者にとっての訓練とは、それに尽きると言っても過言ではないかもしれません。

(ちなみに、これが、いわゆる世界平和の想念です。)