たくさんのJesusと工場で仕事する年末

日常

夫「ももち、もち工場で年末バイトせん?」
私「なして」
夫「コロナだなんだであなたの稼ぎが減っとるから、家計に貢献してくだされ。肉体労働好きやろ」
私「まぁ、嫌いではない」
夫「家から徒歩5分の米屋の工場よ」
私「よしきた。おもしろそう」

そんな軽いノリで始めた年末バイト、想像を絶する超ベリーハードワークだった。

超ハードなスケジュール
ももこはB班

周囲は体力を持て余した高校生や大学生だらけで、場違い感がスゴい。
「ももこさんていくつ?うち、高2〜」
「アラサー」
「マジで?!あ、タメ口すみません」
見栄を張ってごめん、実はほぼアラフォーだ。
作業帽にマスクで識別方法が目元しかないので、そんなBBA心をくすぐる間違いも起きるのである。
年長さんとして、なんとなくバイトリーダーみたいなポジションになってしまった。班長の腰が低すぎるせいで、なぜか私が指示出しやタイムキーパーをする雰囲気に。部活みたいでちょっとたのしい…とか言ってられたのは、はじめの半日だけだった。

睡眠時間ギリギリの中、延々立ちっぱなしで、のし餅を作る。
2日目、3日目になると、キャピついてた女子高生どもも顔が死に、コミュ障気味な大学生はキレ始め、班長は無意味にウロウロして嫌がられ、のし餅へのヘイトがつのる。腕はパンパン、目はシパシパ、足腰ガタガタ、肩上がらん、パッケージで餅つきぺったんこしてるウサギたちさえ小憎らしい。
みんな余裕がない。

軽量担当の男子高校生がおもちをぶん投げるのを見て、私は彼に言おうとした。
「もっとおもちをリスペクトしてよ!愛がないよ!」
そして、ハッと気付いた。

ーー「人に言いたいこと」というのは、本当は自分に言ってることなのである。

つまり、今の私に足りないのは、リスペクトと愛である。
こんなときこそ【赦し】の実践をしよう。

そんなわけで、不機嫌を撒き散らすせいで敬遠され、他に組む人がいないあぶれ大学生を赦すことに決めた。(隣で舌打ちしやがってムカつくんじゃゴルァなめとんかワレ、ギッタギタに赦してやるけんな!)

【赦しの実践】
1)まず、なぜ彼にムカつくのか考える。

・被害者ぶって攻撃的なふるまいをしても許されると思ってるように見えるところ
・みんなつらいのは同じなのに感情のコントロールをしないところ
・言葉で意思表示せず、不機嫌な態度で「わかれ」とばかりに無言でアピールしてくるところ

2)「ムカつく」のは二次感情なので、その下に必ず別の想いがある。
ここにある別の想いとは何か?

・「つらくても文句を言わず頑張ってる私」が居るのにズルい。
⇒あいつはズルい
⇒私は彼によって相対的に損をさせられている
⇒私は被害者、彼は加害者
⇒だから私は彼に対して怒ってもいい。これは正当な怒りである。

3)この状況で私が望む「最高」と「最悪」、それぞれの想定を考えてみる。

最高:彼が私に態度が悪いことを謝って、和やかに仕事する雰囲気になる。
最悪:私がブチ切れて彼に説教をかまし、彼が逆ギレし、私が彼を殴り、最終的に夜道で彼から刺される。

4)このように祈る。
「私は3のように考えているけれど、私の想定する最高も最悪も、両方とも手放します。私には状況判断する能力はないからです」
「私は自分の正しさではなく、平安が欲しいです。私は、自分の考えが間違っていることを望みます」

5)聖霊に、「(すべての時間軸を通しで見ることのできない)私に状況判断する能力はないから、あなたの視点でこれを見させてください」と頼む。

6)隣を振り向けば、あんなに腹の立つ野郎が、ホ〜ラ驚きのJesusに!
なんか怒ってたのが心底どうでもよくなっちゃった。むしろありがたい。

………

っていうのを繰り返してたら、工場中の全員がJesusに見えてきた。あれ?私、神の子の集まりで働いてる…

周りが神の子ばかりだと思うと興奮して、途中から全然体がつらくなくなってきました。

それどころか、ハートチャクラが拡大して、胸からブワーッとHAPPYな渦巻が突き抜ける感じに包まれていた。たのしいしありがたいし…

そのうち、「個別のある人」に対しての怒りは、その人そのものではなく「その人に象徴される要素」にイラッときているということがハッキリとわかりました。

そして、その要素を持っていた過去の人間関係が蜘蛛の巣状に想起され、怒涛の赦しまくりBootCampに…
さらに、人間関係に関連するものは、過去生から引きずっている要素がめっちゃ多いぞ…ということに思い至りました。
加害者と被害者の役を、ほとんど交互にやり続けているということに気が付いた。
なんてバカバカしいことを延々と繰り返してきたの!頭がおかしいとしか思えん!!

思いつく限りのわだかまりを、上記の方法で赦しまくったよ。

そしたらさ、私が「あいつは赦し難い」と思ってたAという存在が、イメージの中で「赦された!ありがとう!」って笑って消えたのよ。
Aは私が家族ぐるみで通っていたバイブルカルトの牧師だったんだけど、私はAがイメージから消えたとき、
「私は過去生でAと同じく聖職者として生きていて、『正しさ』を盾に信徒をいじめていた。しかも高慢ちきに『教えてやってる』とか思ってた!Aは私が教えてた家族の息子の一人だった」
という記憶が蘇ったのです。
そして、私がA氏を赦したと同時に、「私は私自身を赦した」ということがなぜかわかりました。
すごくストーンと何かが軽くなりました。
これまでも赦しを実践してきましたが、こんなに一気に色んなものが軽くなったのはこれが初めてです。すごい。

今日で終わった、おもちバイトの工場勤務。
大変だったけど、本当にありがたかった〜!!!ハレルヤ!!!
勤務延長になってさっき終わったんだけど(深夜1時過ぎ)、なんか全然体力あまってるので記事にしちゃったよ。

このバイトを勧めてくれた旦那さんにも「あいつの稼ぎがもっとあれば、年末こんな大変な目にあわずにすんだのに」などと本気で腹を立てていましたが、今となってみたらありがたさしかない。
ほんとにありがとう。

新しい気持ちで、新年を迎えられそうです。