時間を超えて、ちはやふる愛に浸ろう

氣・エネルギー

時間の正体は感情なので、ダルマの状態【今ここ=愛と感謝の至福】に来ると世界の時間軸から外れます。

人は「意識」という、比較によって成立する知覚と認識で時間を作り出しました。
過去は記憶の中で、未来は想像の中で、今この瞬間には起きていないことを心配したり恐れたりすることで因果が発生します。
つまり、この因果から逃れるためには【今ここ】にいるしかありません。

おばけが「うらめしや〜」と出てくる絵では、手は前に、足元は後ろにひゅるりとぞろびいています。
あの絵は手で未来の心配を象徴し、足元が過去に未練をもってる様子を端的に表していると言えそうです。

心は「今ここ」に居ないとき、過去と未来に引っ張られてバランスを崩しているのです。

人は肉体を持っている(ように見える)のですが、現象を作り出す主体は肉体ではなく、常に心です。 
心と中枢神経系は相互に影響を与え合い、肉体の領域と知の領域は同じヴァイブレーションを起こしています。

無自覚にこれまで学習されたとおりの、つまり感情に任せた生き方をすると、「反応的な生き方」になります。
反応的とは、動物的本能による「自己防衛本能」つまり痛みを避けることを目的とし、攻撃的な神経回路を強化する生き方です。

感情の反応は、基本的には攻撃的なものです。

なぜなら「与える」主体と「受け取る」主体が「私」と「あなた」で別の人だと認識している限り、究極的には「被害者ー加害者」という構図になってしまうからです。
この構図を完全に調和させるためには、「私」と「あなた」が同一存在であるという認識が不可欠です。
しかし、個別の肉体を自己の主体として知覚するうちは、この認識は達成されません。

不足感は感情を不安定にさせ、ここに時間が生まれます。

反応的な生き方は自我の思考体系(自己とは肉体であるという分離に基づく認識)を強化し、感情を不安定にさせ、時間を作り出します。

脳には可塑性があるため、よく使う神経回路は髄鞘化し、反応が効率化されます。
髄鞘(ずいしょう)は、脊椎動物の多くの神経細胞(ニューロン)の軸索の周りに存在する絶縁性の脂質の層で、ミエリン鞘とも呼ばれます。ミエリンの成分のひとつであるコレステロールに基づく絶縁性により、神経パルスの伝導を高速にする機能があります。
つまり「よく考えること」の回路は、物理的に強化されるということです。

感情に任せた「反応的」な生き方をし続けると、その回路は強化されていきます。
その逆も然りです。

ところで。
「自己」とは、肉体のみならず、ヴァイブレーションを展開するエリアすべてを指す、と私は認識します。

人が知覚するのは主に物理空間ですが、実際には不可視の領域も、ヴァイブレーションとして作用しています。

【心が防衛しない状態】は、旋回する独楽が完全なバランスを保っている「ちはやふる」状態に例えることができます。

無防備であることは、攻撃の想念から開放され「今ここ」にいることです。

どのような現象にも両面がありますが、プラス面もマイナス面も丸ごと認識し、(つまり否認により片方を意識から消そうとしない。否認すると別の現象として投影されてしまう)、受け取ることで統合されます。

統合されると、量子跳躍(クォンタム・リープ)が起きます。
それにより、自己のヴァイブレーションを展開する領域が拡大します。
…というより、自己の領域が拡大されることを「思い出す」イメージです。

ハートを開いて無抵抗・無防備に生きることで、だんだん量子跳躍が繰り返されます。

ハートを開いているときは、ありがとうを全身で歌っているような至福の感覚です。

いつも、そこにいたいのよ。

今ここ(時間が存在しない)=愛から見るのが、聖霊の思考体系です。
「反応(リアクション)」で攻撃するのではなく、愛から見る「ありがとー!」のモードを常に意志する。

それも自分の感情を圧し殺すのではなく、(圧し殺すと否認したそれが別の形で投影される)ネガティブな気持ちも丸ごと「ある」と認めた上で、さらに「私は別の見方がしたい。聖霊ならどう見るか」を繰り返し習慣化することで、神経回路を鍛えるとよいぞよという話なのだった。

「世界は存在しない」というのが愛から見た前提だけれど、私はしっかりと肉体があることを信じてしまっている。だから、それを無視したら、ACIMはまったく実用的なものではなくなります。

ACIMのワークが起床時と就寝前に設定されている理由だって、たぶん潜在意識に概念を刷り込みやすくするためだろうと思う。(起床時と就寝前は、一番顕在意識のフタがゆるんでいる時間帯)

時間がなく、空間もなく「世界は存在しない」から、すべての悩みは実在しない。
…そんなことは、頭ではわかってる。

でも、私はまだ肉体があることを信じている。この世界の存在を信じている。

肉体があることを信じてしまっている私が、自分が情報存在でありヴァイブレーションだと信じてしまっている私が、永遠の今である愛に至るためにはどうしたらいいのか。

そんな考察でした。