お家に帰ろう 中絶への赦し

傷と癒し

昨日は逆方向の電車に間違えて乗車したため全然家に帰り着けない、というちょっとしたイベントが起きました(大船行に乗ったはずが大宮行きに乗ってしまい、しかも全然気付いてなかった)。

「お家に帰りたいです」
と半泣きで聖霊に祈ったら
「あなたは自我の思考体系を保ったまま、家(天国)に帰ろうとして逆走している」と言われ、

「これはおそらく、パートナーシップの活動についてのことかな」
と感じました。

この間、パートナーシップについての動画講座を撮ったのですが、
奇跡講座(ACIM)を学んでいない人にも分かりやすいようにと、私はかなり自我の思考体系を用いた説明をしているのです。
【動画】おとなのためのパートナーシップ講座

例えば、傷という概念については、傷を実在させるような伝え方をしています。
これは、今まさに恋愛の葛藤の中にいる人は、「肉体レベルの『現実的な』解決」が知りたいだろう、という個人的な考えによるものでした。

LIVEを行ったFacebookでは分かりやすいと感想をいただき、割と好評だったので、調子に乗ってしまい
「こんな感じで、今後もパートナーシップに関して配信しようかなー」
と思っていた矢先のことでした。

しかし、「世界は自我の投影によって作り出された幻想である」というのが聖霊の言葉で、実相世界においては「神(愛)」と「それ以外」という区別しかなく、幻想のレベルには全く意味がないのです。
目覚めているか、夢を見ているかの違いしかありません。

ですから、幻想のレベルでの解決策を語ることは、聖霊の視点からは「全く無意味」になります。だって肉体自体が幻想だから。

そして、肉体自体が幻想であることが理解できない限り、
境界線を作ることを決め分離することを選択したのは自分の心(意識以前の選択)であることを認めない限り、「赦し」は完了しません。

なぜなら目を醒まさないように、自分で自分を洗脳し続けている状態にあるからです。

でも、肉体自体が幻想だなんて、奇跡講座を学習している人以外の誰が信じるのさ?!
それこそ「現実的」ではないでしょ?!
…そう思っていたのでした。

そしたらさ。
電車を乗り換えて方向転換してから何気なく開いたJACIMのテキスト「聖霊のレッスン」に、
「もうそういうことはやめて、完全に方向転換しなさい」って書いてあって。

トドメのように、前の部分にはこう書いてありました。

「このコースを学ぶには、あなたが抱いている価値観のすべてを疑ってみようとする意欲が必要である。一つでも隠されて曖昧にしておかれるなら、それはあなたの学びを危うくするだろう」

「多くの人々は、自我の思考体系の枠組みは残したまま、聖霊の思考体系からいくつかの魅力的な特徴だけを採り入れるという学び方をしてしまいます。学び始める時点では、そのように学んでいる人々の方が多いと思います。けれども、『奇跡講座』というコースは、よく理解するなら、そのような妥協の余地はない教えであることが明らかです。…(p58-59)」

つまりこれは、
自我の思考体系からパートナーシップについて説明しようとすることを止めなさいというメッセージなんだろうと。
そう思ったら、なんだかくらくらしてきました。

私がやろうとしていたのはまさしく、自我の思考体系を保ったままでも理解出来るように、奇跡講座の教えを希釈して、恋愛・夫婦関係に当てはめて伝えることだったからです。

釈然としない気持ちのまま、私は何気なく隣の席の人を見上げました。

そしたら、なんと。
隣の席に座っていた男性が、私が十年以上前に妊娠中絶したときの、元彼にそっくりだったんです。(他人の空似ですが)

その途端、

ブワーと涙が出てきて、
私は子どもを中絶した自分のことを、心の奥でまだ責め続けていたことを唐突に理解しました。

そして、「自分を責め続けることが正しいことだ」と思っていたことも理解しました。

そもそも、パートナーシップについて私が真剣に学び始めたきっかけは、自分の弱さが中絶という殺人を犯してしまった、もう決してあんなことにはしない、そのためにはどうすればいいだろうか、という絶望が基盤になっていました。

私はこれを、動機はネガティブでも、ポジティブな活動に繋げていればいいだろうと思っていました。

しかし、
そうではなかった、ということがわかったのでした。

私の中でまず、元彼に対する攻撃の想念がブワッと燃え上がりました。
しかし、私は彼が私の潜在意識において否認した自己であったことをわかっています。

自然と、攻撃の矛先は自分へと向かいました。

ありとあらゆる罵詈雑言が、嵐のように私の中に去来し、一瞬、息ができなくなりました。

「聖霊よ、私は私を赦すことが出来ません。私はこれを忘れないことが正しいことだと感じています」
そう祈った私に、

聖霊は
「あなたはあなたを責めることで、あなたの兄弟を責め続け、十字架にかけ続けるのか。彼らの罪を実在させるのか」
と答えました。

ここで言う兄弟とは、全世界のすべての存在を意味しているとすぐに分かりました。

私は、「私自身のためには私を赦すことはできませんが、私の兄弟のためになら私を赦したいです」と言いました。

潜在意識のことを学んで、「私はあなた、あなたは私である」ということが腑に落ちていなければ、この結論は出せませんでした。

子どもを殺してしまった私の「罪」を、私は忘れてはいけないと、かたく信じていたからです。

しかし同時に、「私が私を咎めることが、世界を咎めることになる」という法則も理解していました。

私は人を責めることで自分を攻撃し、自分を責めることで世界を攻撃しているのです。
なぜなら、私たちは、霊においては一つであるからです。

「聖霊よ、
私は子どもを殺してしまった私の弱さを赦したいと思っています。
霊においては、私には何の罪もありません…
私は、これを、聖霊の見方で見たいです…」

わんわん泣きながら帰ってきて、
やっと自宅に帰り着きました。

そしてね。
お風呂に入って
「私は、私を赦します」と言うんだけど
違和感が半端ない。
涙が出てきて「絶対絶対絶対ゆるさない!」って思っちゃうの。

そして、代わりにもう一度
「私は私を、赦したいと思っています」
と言ってみました。

すると、
目の前にあるビジョンが浮かびました。

13年前の11月。
中絶手術の後、麻酔で朦朧とした中で、ベットの端にイエス様が黙って腰かけてくれていたのを、21歳の私は感じていたのですが、

「赦したいと思っています」というさっきの私の祈りが、イエス様の心と重なって、あの日あの場所にいたんだ!

ということが、わかったのでした。

絶望しきって泣く権利すらないと思っていた21歳の私を見て、34歳の私は彼女を助けたいと感じました。

「私は、私を赦せない私を赦します。
赦したいと思っています。
聖霊よ、私には罪があると信じる心を手放したいです。
愛へと入れ替えてください…」

一夜明けて、この文章をお布団の中で打っているのですが、
「私が今日まで年々しあわせになるように生きてこられたのは、今日の私が過去の私のために祈ったからだ」
という、直観が湧き上がりました。

直線的な時間は幻想であるという話はよく聞きますが、まるでハリー・ポッターのようです。
癒やしは時空を超えるんだ、という不思議な感覚を味わっています。

そして同時に、これまでずっと、たくさんの「いつかの私」が、私を助けてきてくれたんだ、ということもわかりました。

ありがとう私。
ありがとう聖霊。
ありがとうイエス様。