【動画】私たちは、癒し合うために恋に落ちる

Facebookで行なったパートナーシップについてのLIVE講座をアップしました。
Video

【おとなのためのパートナーシップ講座〜私たちは、癒し合うために恋に落ちる〜】
「猫のように生きてく」主催・祈り手ももこ(さとももこ)が2020/11/24にFacebookで行なったLIVE講座を公開します。
↓まとめPDFはこちら(動画で語っていない補足情報あり)〜↓
https://drive.google.com/file/d/1vEeKHk7_Vi-H29Y-sKI-2W3xq58Kwo3r/view?usp=sharing

おとなのパートナーシップ講座〜私たちは、癒やし合うために恋に落ちる〜

<目次>

■なぜ私たちは恋をするの?
■「運命の相手」は爬虫類脳が選ぶ
■表面化する問題は全てダミー
■ときめく理由
■相手は「私自身」である
■「愛されてる」って感じたいだけ
■怒りは二次感情
■神との関係と恋愛の相似

↓↓講座まとめPDFはこちら↓↓
https://drive.google.com/file/d/1vEeKHk7_Vi-H29Y-sKI-2W3xq58Kwo3r/view?usp=sharing
※結婚の時「親と酷似した特徴の人を選ぶ」というのは、アメリカで100万件くらい臨床例があるお話で「イマーゴ理論」という名前がついています。邦訳版がない(入門編が絶版になっている)のですが、英語が読める方はぜひどうぞ!
参考書籍:Harville Hendrix Ph.D ”Getting the LOVE You Want”

【動画の補足】
霊においては傷というものは本質的には存在しないので、「癒やされるべき傷というものはない」のだけど、肉体があると認識する=意識の境界線があるうちは、敵味方という概念がリアルに見えます。境界線を作っているのは自分自身であり、個別の自分という概念自体がそもそも正気ではありません。

しかしそんなこと言われてもピンとくる人あんまりいないだろうので、動画の中では敢えて傷があるかのように語っておりまつ。

傷にフォーカスしすぎると、傷を実在させてしまうので逆につらくなります。
しかし傷があると思っているのに見ないふりして押し込めると、別の形で「ここにあるんだけど!無視しないでよね!」と出てくるのです。

やるべきことは、傷という形で存在する、自分にとっての信念や概念を見つめて、それを手放すことです。

例えば「テストでいい点をとったときしか褒めてもらえなかった」という記憶は「私は頑張らないと愛されない」という概念につながっていることがあります。
例えば「お母さんが自分自身のことを卑下していた」という記憶は「私はお金を稼ぐ能力がない」という概念につながっていることがあります。

例)お母さんが自分自身を卑下している
=お母さんはお母さん自身に価値がないと信じている
=そんなお母さんの子供である自分も価値がない
=私は価値がない

この概念は、様々な形で具体化されます。
→私は○○しないと愛される価値がない
→私は稼ぐ能力がない
などなどなど!

自分のみじめさを思い出せという話ではなく、傷にまつわるどんな信念・概念を持っているかを確認しようという話なのね〜

……で、実はこれはお母さんのせいみたいなんだけどホントは違うくて、魂レベルで持ってる自己概念の信念体系を、外在化させてくれる人を両親にえらんでるだけです。
だから、子供の時の傷というのも実はもとを辿ると親からつけられたものではなく、自己概念に含まれているものが両親の存在により外在化しただけです。

親との間にある傷の原型となるのが「神と分離してしまったという魂レベルの罪悪感」で、輪廻転生する理由はこの罪悪感を癒やすためです。
ややこしくなるから動画では親によって傷つけられたかのように語ってるのですが、自分の自己概念(ネガポジ両面)を具体化してくれる相手を親兄弟に選んで生まれてきています。

だから、ホントはパートナーシップだけでなく、出逢う人すべてが自分の鏡であり、癒やし合うために出逢っていると私は考えています。
恋人・夫婦は親子と同じく関係性が濃いので、癒やし合う対象として想定しやすいというだけなのです。

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※ACIM学習者の方へ
この動画を含め、当サイトで書いているパートナーシップに関する文章のほとんどは、奇跡講座を学んでいない方を読者として想定しています。
ACIM学習者の視点では「肉体レベルで何が起きようと、神に愛されていると安心できる状態」を目指す必要があり、肉体レベルで何か行うことは無意味なことです。
しかし、今まさに関係性の苦痛の中にいる方にとっては、奇跡講座の教えはラディカルすぎて薄情に感じかねないとも、個人的に考えています。「そのレベルまで理解できないと救われない」と言い放つことは、私にとっては自分自身の「助けを求める呼びかけ」を無視することのように感じられるのです。この世界では、魔術を回避することはできません。そんなわけでこの講座は、自我の思考体系でも理解できるが、「癒して繋がろうとする」ことを目的としています。分離を実在させると感じられる言葉遣いが多用されていますが、私自身は基本的にワプニック博士のテキストに沿った理解を目指していることをお伝えしておきます。