泣き笑い

奇跡

最近、ほんとに大真面目にJesusの声を聞いて生きてる人たちとたくさんめぐりあえて、私は泣けます。

ありがとう、とうれしすぎてしあわせ… 

物理世界でのことではなく、「本当のこと」が知りたいと子供の頃から今に至るまで祈り続けているのを、実は狂人ではないかと割と自分で思っていたようです。

わからないことが気持ち悪くて、吐くほど泣いて「本当のことが知りたいです、神さま。私の目を見えるようにしてください。私の耳が聞こえるようにしてください」って叫びながらひざまずいて祈ってた。

オーラの色が観えても、お祓いができても、宇宙人と話せても、テレパシーができても、これから物理次元で起きる展開が少しばかり読めたとしても、そんなのは全くスピリチュアルではない。

それは楽しいし、生活を少しだけ良くしてくれるかもしれないけれど、私の魂を救ってくれない。のど飴みたいなものです。

私は、救われたい。私、とは、つまり私という心によって作り出された宇宙は、救われたい。

私が必要なのは、一時的に気分がよくなる「スピリチュアルごっこ」じゃない。私が必要なのは、特別に選ばれた誰かによってもたらされる限定された愛ではない。私が必要なのは、金銭と引換に得られるこの世の何かではない。私が必要なのは、いつか流転し形を変える陰陽のゆらぎを往き来する幻ではない。

世界は存在しない。

存在しない世界での生活がどんなに快適になったところで、それは実相となんの関わりもない。

もちろん、エコーや倍音としての副次的なものは歓迎するけれど、本筋はそこじゃない。

私は「本当のこと」だけが知りたい。

それ以外は要らない。

私、狂人じゃなかったんだなとわかりました。

家に帰りたくて泣いてるだけの、単なる迷子であった。

わたし、おうちかえる。

神さまが待ってるから。