辿り着くところは同じ

ACIM

ACIMでやっている「赦し」はエゴの解体をプロセスに含みますが、
観普賢菩薩行法経でも同じこと言ってる。

「一切の業障海は 皆妄想より生ず 若し懺悔せんと欲せば 端坐して実相を思え 衆罪は霜露の如し 慧日能く消除す」

訳)不幸や病などの一切の業障は、すべて誤った想念、妄想から生み出される。もし自分の業障を懺悔したいなら、静かに端座して実相を思えばよい。実相とは自身が光であり、神性であり、仏性であるということだ。そうすれば罪として見えている不幸や病は、あたかも霜や露のごとくものだから、智慧の光に照らされ消えてしまうのだ。

どの教えがしっくりくるかというのは、これまでの来歴で人により違いがあるでしょうけれど、
突き詰めると本質的には同じことを言ってるようです。

つまり、
人間の本質は霊である。
霊の源は光という愛なる響きである。
光とは神さまの本性であり、
神さまは人間の本体である。

光を覆っている闇の想い(エゴ)を、
光の中に入れて消してしまおう。
神さまの響きと同調するために、
愛なる響きを発する祈りをしよう。

ということです。

エゴの解体に関しての方法論は、たくさんあるので好きなのをやったらいいよね。

ところでエゴの解体に伴い、エゴの反発も凄くて、ふんぎぎぎ…ってなりますよ。笑

どーすんのこれ。手に負えないんだけど。
と感じながらホーリースピリットに委ねています。
そしたら愛に入れ替えてくださるので安心。

あーよかった。