他の人の怒り・攻撃性に対する感受性の高さ

エンパス

人のネガティブな感情に対する感受性の高さは、ときにわたしたちを苦しめることがあります。

例えば小さな子供が両親のケンカに対して身をすくませ、自分を道化にしてでも空気を和ませようとするように

大人になっても人の怒りやネガティブな感情に敏感さを保っている人たちがいます。
エンパスや、HSPと呼ばれる人たちです。

私自身もそうですが、そういう性質の人は、人と関わることでその人の感情エネルギーを追体験するため、怒りや攻撃の想念を持つ人のそばにいると身をすくませ、うまく振る舞うことが出来なくなることがあります。

人の機嫌を気にするのは意志が弱いからだという意見もありますが、わたしはそうは思いません。

人の機嫌を気にするというより、人の感情の動きと自分の感情の動きが、不可視のフィールドにおいて連結していることを、身体的に感じ取っている、といった方がしっくりきます。

たとえば、わたしは随分最近まで、目の前の人がケガなどで傷んでいると、同じ部位に痛みを感じていました。
蕁麻疹の人と会って別れてから、その人の患部と同じ部分が何日も痒くなることもあります。
また、悲しみにくれる人のそばにいると、2日ほど一緒に悲しい気持ちになっていました。
(今は、そうではなくなりましたが)

身体的レベルで、「わたし=あなた」であることを、感じ取っていると言えるかもしれない。

冒頭の、怒りの話に戻ります。

人が怒るとき、実は理由はありません。
あるように見えるのは全て後付の理由です。

感情が先にあり、理由は後付で発生します。
その理由は、感情という器を満たすために、瞬時に探し出されます。

あまりに瞬時に探し出されるため、あたかもある理由によってその感情が引き起こされたように錯覚しますが、実はそうではありません。

ある感情の器はすでにここにあり、
器を満たし増幅するためのものとして理由が現象化します。

1)心が先にあります。
2)理由は後から現象化します。

人が怒るとき、理由はありません。

ただ、「わたしは傷付いていて、痛い!」と叫ぶために、怒りが利用されています。

理由があって怒るのではなく、
もともと痛いのをずっと我慢していて、
いつかどこかで痛いと叫ぶ準備をしている。

そして、その傷口に触れそうなことを予知すると、「怒ってやるぞ」となるのです。

準備万端の器のために、
理由が現象化するのです。

つまり、もとの傷が癒やされたら、
怒りはなくなります。
痛くなくなると、怒る必要がなくなるからです。

でね。
「他の人の怒り・攻撃性に対する感受性の高さ」とは、

怒られるのがイヤだとか
当たられるのが怖いとか
そういう自分本位な理由だけではなく、

「その人の怒りを通して、そこに紐付けられた痛みや傷を察知するから苦しかったんだ。」

ということに、
わたしはさっき気が付きました。

何でこんなに、人の機嫌が気になるんだろう?
と思ってた長年の謎が解けた!!

血まみれの人が泣いてたらさ、
「手当してあげなきゃ!」
ってなりますよね。フツーに。

怒る人というのは、
言わば心が血まみれの人
なんだわ。

エンパスの人が、「他人の機嫌が気になる」のは、その人が血まみれであることに潜在意識で気付いているから、助けてあげたくなって苦しいからである。
というか、人の傷見てたらこっちまでフツーに痛いやろ。っていう。

はースッキリした。

人の機嫌が、やたら気になるあなた。
それは、「人の痛みが気になる」ということなのです。
あなたが弱虫だからではないのだ。
血まみれの人がいるのだから、気になるのはむしろ当然である。
むしろ、本能的ナーシング精神と言えるかもしれない。

でね、「そうはいっても、人の機嫌に左右されるのは苦しいから、気にならなくしたいなあ」と思ったら、

自分に対して攻撃してくるように感じる相手こそが、あなたにとっての脱出の鍵になります。

その相手と同じフィールドに引き合っているということは、あなたの内側の「何か」が解決されたがっていて、そのヒントとしてそのイヤな出来事が起きているからです。
(それが何なのかは個人によります。)

◆まとめ◆
・怒る人=傷ついてる人
・人の機嫌が気になるのは、心が弱いからではない。傷ついてる人を見てられないからである。
・出来事→感情ではない。
感情の器に対して、それを満たすために理由が現実化する。