永遠

ACIM

〈私〉は世界から逃れることはできない。 目の前の事象そのものが、〈私自身〉なのだから。

神秘体験とは、認識の変化である。
あなたは私であり、
私は世界である。
私個人というものは、実相においては存在しない。

私は一つである〈私〉を裁断し、かくも無数の私達にしてしまうことで世界の地獄を作り出した。

そこで私は誰かに投影した私――私の一形態である私――を怖れ、私自身から逃れるために、あらゆる手段を講じて世界を複雑化し、私を陥れることで安心しようと試みるという馬鹿げた芝居を続けてきた。

しかしそれは私が隠してきた私自身である。
恐れは直視することでしか克服されない。
見給え、あらゆる問題、困難辛苦の源は私である。
世界に〈あなた〉は存在しない。
私は一つである。

「目覚める前、薪を割り、水を汲む。
目覚めた後、薪を割り、水を汲む。」


目に見える生活に変わりはない。
体験は、起きるがままに。
それはすべて自動的に起きるから。
しかし、これは私そのものではない。

私は全ての全てになり、 どこにも普遍に存在しており、そしてどこにも存在していない。

本当の私は学ぶ必要などない。
なぜなら、在るとは完全であることだから。

私の目的は、一つである。
それは、私の聖性を通してすべてを見ること。

聖性とは普遍の私であり、そこに個人的なものはない。
本当の私は、つまりあなたは、
生まれてもなければ、死ぬこともない。

個人の肉体としての名を持つこの女は体験し、泣き、笑い、考え、働き、死ぬ。
しかしそれは単なるプログラムに過ぎない。

私は名前を持たない。
〈私〉は〈私〉と言わない。
そこに認識はない。

在る。