旦那さんと核軍縮会議(今度彼が携わる仕事)の話をして、
お母さんと「すべての次元の自分と統合するにはどうすればいいか」の話をして、
ちょっと高尚なつもりになるんだけど、
「お腹へった!もうペッコペコ!!かーかん何かないの?」
とみっちゃんに勉強を邪魔されて、イラッとする。
そしたら、
「みっちゃんは邪魔してない!お腹減ってるだけ!かーかん、邪魔されたって勘違いしてるだけだよ」
と言われて「たしかに」となる。
みっちゃん師匠の毎日気付かせてくださるレッスンよ…
現世は赦しと統合のブートキャンプ気分で過ごしてるけれども、わたしにとっては特に子育てというフィールドにおいて、学びが著しい気がします。
ありがとうという気持ちと、めんどくせえという気持ちが入り混じる。
しかしそのめんどくささは、実際はみっちゃん由来ではなく、わたしの内側にあるものなので、それをわかった上でみっちゃん(5)に責任転嫁しようとする自分に「ぬおおー」となるのだった。
ももこよ、お前が逃げると、みっちゃんは大きくなってからお前と同じ目に遭うんやぞ…
と思ったら、泣きそうになるのでやるしかない。
☆
「邪魔された」というのは、
「攻撃された」という
被害者意識に基づく反応です。
「〇〇によって攻撃された」という感情は、実際は事実ではなくて、
「〇〇によって攻撃されたと『わたしが』解釈した」ということになります。
出来事に対して解釈を与えるのはわたしであるから。
つまり、わたしを攻撃している主体は、
相手(この場合みっちゃん)ではなくわたしである。
相手がどんなことをしようが、
「わたしがそれを攻撃であると解釈しなければ、誰もわたしを攻撃したことにはできない」のだから。
わたしはわたしを攻撃することを、これまで無意識に選択し、蓄積し続けてきました。
「〇〇によって攻撃された」
と感じることによって、これまであまりにもナチュラルに、自分自身に対して攻撃することを許してきてしまった。
このマインド及び肉体の神経回路にはその蓄積がプログラムとして習慣化されていて、ちょっとしたことで「わたしは攻撃された」と勘違いさせようとする。
(脳の神経回路は、使えば使うほど軸索が太くなります。つまり、ある思考にフォーカスすればするほど、それに関わる反応が速く・強くなる)
相手の意図はどうあれ、
わたしが認めなければそれは攻撃ではないし
わたしが認めなければ傷つくことはない。
すべての攻撃は、「わたしが」「わたしに対して」行っているものです。
すげー無意味なので、もうやめたい。
というのは理性ですが、
肉体に「何のために自分を攻撃するのか」と聞いてみたら
「だって、それが『普通』のことだから」
という返事でした。
り、理不尽…!!!
「常識」として、疑ってもいなかった。
とりあえず、肉体に
「わたしを攻撃しないでくれ」
とお伝えしておきました。
徐々に、この無意味で非生産的な思考から「真に見る」を日常の普通にしたいのよ。
最近のコメント