母の日つれづれ 赦すということ

ACIM

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最近、母がスピ系のカウンセリングセッションを受け始めたらしく、そのカウンセラーさんからわたしについて
「感情の出し方はこの子に習いなさい」と
言われたそうです。

ほー。
いくらでも教えるで!

わたしの癒やしのプロセスが、わたしの家族の役に立てるというのは、ほんとにありがたいことやなと思います。

今回は、赦しについて書いてみます。

(以下は、輪廻転生を前提とした話です。人間は何十万回も転生し続けているとわたしは感じています。)

人は生まれる環境を自分で選んでいますが
その際にも同調集合の法則がはたらくため
家族内では心の中に同じ傷を持つ人が多いようです。

世代を越えて同じ問題を繰り返すことが多いのは、傷が引き継がれるため生育過程において類似環境を創り出してしまうためですが、
生まれる前からそもそも同じ傷をもつバイブレーションの存在と引き合っているせいでもあります。

表面上は被害者・加害者という形になりますが、「相手に投影されている『わたし』の内側の傷」がそこにはあります。

わたしは自分を苦しめた親を赦せないことに悩んだ時期が長くありましたが、相手を赦せないことにより、自分をさらにひどく苦しめることになりました。

それは、潜在意識において本質的には「相手」というのは存在しておらず、相手という鏡越しに「わたし」を赦さないと呪っていたからです。
相手を赦さない=わたしはわたしを赦さない
ということになります。

憎しみの鎖で縛るのは、相手ではなく自分の心だからです。それを握っているうちは、生活に平安は訪れません。

なぜなら、その関係性が心の鋳型となって自分の内側に存在しているために、別の人との間にも、同様な概念を投影してしまい、望ましくない関係を築いてしまうためです。

思考は現実化するという法則は、考えたことが現実になるということではなく、「潜在意識における信念が現象化する」ということです。

ここでいう「赦す」というのは、
「『慈悲深いわたし』が『罪あるあなた』をもったいなくも赦して差し上げてよ。でも本当はあなたは罪深いのだから、ごめんなさいという気持ちを忘れてはいけないんだからね」
という上から目線の赦しではありません。

この赦し方だと、
「あなた」と「わたし」という別の存在があるという前提になっているので、相手に罪があるということを「事実」にしてしまうからです。

潜在意識は、主語を理解しません。
「あなた」に罪があるということは、「わたし」に罪があると言っているのと同じことになります。
つまり、この赦し方だと、「わたしは罪深い」という結論(自己への呪い)を導き出すことになります。

潜在意識においては、「他者」というのは存在していません。
「わたし」しかいません。

ですから、わたしたちは自作自演でひとりで自分を傷つける、複雑な劇をやってるようなものです。

相手に罪を見出すことは、究極的には自傷行為となります。
なぜなら「あなたはわたし」だからです。

ですから、
現実を変えるための本当の赦し方とは、以下のようなプロセスとなります。

赦しのプロセス

1「わたしは〇〇さん(赦せない相手)に、投影されたわたし自身を見ています。」

2「わたしは、わたしの内側に罪がないことを宣言します」

3「わたしにはなんの罪もないので、わたしのネガティブな概念を投影している〇〇さんにも、本当はなんの罪もありません」

このプロセスに対し、感情的に納得がいかないのは、「相手」と「わたし」が別の存在だという二元性の概念が根強くあるからです。

その際には、
「相手を赦さないことが自分自分にとって苦痛である」という認識が鍵になります。

自分の正しさを主張するより、平安を選択したい、自分と他者の利害を同じとしたい、という認識です。

目の前の問題というのは100%ダミーなので、動揺の本当の原因は心の中にある、ということを、できるだけ早く思い出すことが、赦すための役に立ちます。

ただし、この仕組みを受け入れるには、自我(エゴ)による激しい抵抗を受けるため、
「そんな深い話はどうでもいいから、いまこの苦しみを取り除いてくれ、対処療法でいいんだ」という気持ちになることが予想されます。

そのような気持ちがわいてきたときは、
「聖霊よ、わたしは愛を選択します」
と10回くらい唱えると不快が晴れてきます。

ここでいう聖霊とは、「真なる自己」と同義語です。聖霊という呼び方に抵抗がある場合、ハイヤーセルフとか、何でもいいと思います。

以上、
母の日に寄せての、赦しについてのつれづれでした。

役に立つといいな!