【日常】ひとつになりたい

ACIM

赦せない人が、ものごとが、存在が、まだたくさんある。
今朝は瞑想後に、思いつく限りの存在を赦すと宣言した。
今日のACIMワークが「神は愛であり、その愛の中で私は赦す」だからちょうどよかった。

全世界の悪いことしてる奴らは、すべて「わたし」である。
全世界の気色悪い奴らは、すべて「わたし」である。
全世界の災害や疫病は、すべて「わたし」である。
全世界の悩み苦しみは、すべて「わたし」である。

分離させて、「被害者」であろうとしていると、それらが本当は「わたし」であることから目を逸らしてしまう。

すると、物事はコントロール不能なものとなる。

でも実際は、そこに分離(他者)を生み出したのは「わたし」の自我である。

彼の罪を見よ、と心中で裁くとき
彼と「わたし」は別個の存在として認識される。

考えなく拒否するのは、蓄積された概念の反射であって、真理を見ようとする意志ではない。

わたしが忌避するそれは、「愛を呼ぶ声」のひとつであり、「これはわたしではない」と裁くことで得られる全能感は、分離を強化する苦しみの鎖を重ねがけするだけだ。

わたしが咎められるのは本質的にわたしだけであり、
わたしが赦せるのも本質的にわたしだけである。

実相においては、「わたし」しかいないから。

意志を持って生きる。

わたしが見たいのは実相であり、
偽りの分離した世界ではない。

「神は愛であり、その愛の中で私はすべてのわたしを赦す」