【日常】その感情はどんな概念に基づくものか

日常

トイレから出てきたみっちゃん(5)が、
ひとりでお尻をふけるようになった!
と報告をくれて、わたしは「素晴らしい!よかったね!」と彼女を抱きしめたのだけど

次の瞬間
「では、老人がお尻をふけなくなったことはなぜ祝わないのか?」という疑問が唐突に浮かびました。

旦那さんに訊ねたら「手がかからんくなるけんやろ」と言われたけど、

手がかからなくなったらなぜめでたいのか?

出来ないことが増えることと
出来ることが増えることと
いったいどんな違いがあるのか?

首を傾げたまま答えが出なくなった。

できるようになった!という個人的達成感という意味では、たしかに違いはある。
しかしその喜びは、できなくなったときに自己価値を下げる逆のモチベーションになりうる。

出来事によって連想される感情は、
単に概念によって紐付けられたもので
後天的な学習によるものであるから

祝うも嘆くも「実相」とは違う。

どちらも等しく無意味だ。

ところでわたしは看護助手をやってたことがあって、重度認知症の方のお尻と用済みの便器を一年間延々拭き続け、摘便とかもやってたのだけど、その仕事で介護してたご老人がみんな神様に見えて仕方なかったのよ。

何も出来なくても、いるだけでいいじゃんか。

わたしが何も出来ない老人になったら
誰もそれを喜ばないかもしれないけれど
わたしは出来なくなっていくことを
ひとつひとつ祝っていこうと思う。

周りから見てしあわせかどうかはどうでもいい。
どんな状況でも、わたしは喜びの中にいたいのです。

一緒にお風呂に入ったみっちゃんがそのあと
「お風呂のお湯はどうしてみどりなの?」と訊ねてくれて

「ほんとは水に色はついてないんだけど、光の加減で色がついて見えるんだよ」
と答えながら
(ああ、物事はすべからく透明なんだけど、わたしのもつ概念によって色がつけられて「そう見える」世界を見ていると信じ込んでいたんだな)とわかった。 

お風呂でまたひとつ真理へと近付いた。

ありがとうみっちゃん先生。