剥がれ落ちる目のウロコ

ACIM

「心が唯一の創造のレベルであり、心の誤りは贖罪によって癒やされる」

ACIM(奇跡講座)を独習中なのですが、読めば読むほど自分の中の分類されていなかった霊的な概念が、クリアな形になっていきます。
たぶん、学びが深まるたびに新しい知覚を得るのだろう。

エンタメスピリチュアルがお好きな人には全く受けないと思いますが、
真剣に霊性探究をしている方には心からおすすめします。
今のところ、これ以上親切な霊性探究ための包括的なテキストは、書店で手に入る形では存在しないんじゃないかしら。

ACIMはキリスト教の用語を用いていますが、実際には宗教とは全く関係がありません。
コースのテキストでいう「キリスト」は「ブッダ」と置き換えても問題なし。

わたしが以前ACIMを学ぼうとして挫折した理由も、個人的に理解できました。

そのときは、「赦す」ということが頭でしか理解出来ていなかったのです。

また、潜在意識についての学びも浅かったため、「わたしはあなた」ということが腑に落ちていなかった。

コースの学びに入る前に、

・潜在意識は主語、否定系、時間を区別しない
・すべての他者否定は自己否定と同義である
・ほとんどの問題は罪悪感から生じている 
・人を癒やしたい=自分が癒やされたい 
・誰かを助けねばならない対象と想定することが、「問題」を創造する
・スピリチュアルとは「概念」である

ということを、生活レベルで学ぶ機会があったことが、わたしにとっては非常にラッキーでした。この前提がないと、たぶん意味わからなかっただろうな。

例えば、
恋愛やパートナーシップがうまくいかない人は、たいてい親子関係に問題があります。

多くの人が
お母さんについてのイメージ=自己イメージ
として採用しているため、
お母さんがしあわせでなかった人は、よっぽど意識していない限り、自分もしあわせでないパートナーシップを繰り返すのです。

これは、潜在意識が主語を区別しないから起こること。
自分とはこういう人だ、という鋳型が、家庭での親子関係での状態そのままになっています。

で、
人間関係(特に恋愛)では、親を赦します、と決めた人から、ハッピーになれる法則があります。

「ゆるさない」という憎悪の鎖は、相手ではなく自分自身を縛りつけます。
鎖を解いたとき、開放されるのは自分自身です。

例えば「親を赦すこと」は、
親という外側に投影された表象、関係性の「鋳型」となる「別の姿をした自分」を赦します、ということになります。
つまり、「親」という他者は本当は存在してないのです。

親を赦します、という宣言を通して、「わたしはわたしを赦します」という無罪宣言になります。

これは、親だけでなく、すべての存在に対しても同様です。

世界はホログラフィックに投影し合うことで存在しているため、自分の内側にある鏡を磨くことで、映し出される現実が変化します。

多くの問題は、潜在意識における「罪悪感」によって起こります。
これを「自己肯定」に戻すこと、つまり「わたしは罪がある」という思い込みから
「わたしは罪がない」を理解すること(=贖罪)、
この思い込みを外すだけで、世界は別な現実を映し出します。

大祓祝詞でいえば、「罪という罪はあらじ」。
この贖罪が浄化となります。

で、わたしの場合は
第一段階の浄化(とにかく目につく怒りの対象を全部赦すと決めて実行する)をほぼ終えたところでACIMの学び直しをはじめたので、すんなり理解が追いつくかんじ。

まだまだ学びだしたところなのですが、
すでに色々と世界への知覚が変化しています。

おもしろいので、おべんきょ仲間がほしい気がする。

誰かいらっしゃらないかしら。