【日常】吹雪の夢もまたたのし

ACIM

今日は東京は吹雪でした。
子犬化した旦那さんとみっちゃんは雪遊び。

わたしは「神の使者(byゲイリー・レナード)」とACIMを交互に読んでまふ。とてもとてもおもろい。

キリスト教原理主義の教団にいたときに、子供心に感じていた聖書への違和感や疑問が、この本を読んでやっと氷解したような気持ち。

幼い頃、わたしの体験する聖霊の声と、聖書の教えには矛盾がたくさんあったのです。

というのは、わたしは聖書の教えの根底に、命令や恐怖を感じていました。特に、神の教えに生きているという大人たちが、ちっともしあわせそうでなかったのが不思議だったのです。

十字軍もですが、宗教国家が神の名のもとに殺人や差別を正当化するのも信じがたかった。

誤解を恐れずに言えば、わたしの人生にはじめに闇をもたらしたのが、キリスト教という宗教でした。

しかし、個人的にお祈りするときに心の中から語る「聖霊さま」は、あたたかくて安心できて、涙が出るほど深いやさしさを感じる声だったから、神さまが存在する、というのはわたしにとってはリアルだったのです。

聖書は編纂の過程で歪められたのだろうな、と考えていたけれど、曲解どころではなかったんだな。

いまようやく理解の下地が整ったから、ACIMをはじめとする、これらの本に巡りあえたのだろうと感じています。

わたし(つまり、過去の概念だけを見ているわたし)が世界に付与した意味を捨て、聖霊から見た意味に移行する。

色んなことがあった今生ですが、
まっくらな洞窟でいつも「声」がわたしを揺り動かして、愛を生きるようにと光に導いてくれました。

何千回転生を繰り返したのかは知らないけれど、その下地があって今があるのだなと思います。

グノーシス派の修道僧だったり、中東の星見だったり、ユダヤ教のラビだったり、魔女とされた癒し手だったり、ずいぶん沢山霊や赦しについて学び続けてきたような気がします。

「赦し」や「怒りと傷」についての学びを、
今生はダイジェスト版で送ったのかもしれない。
民族まるごととか、共同体まるごととかの愛憎劇をやっていると、そこまで突き詰めて個人の感情について学ぶことは困難でした。

家族という小さな枠の中で、世界の雛形となる学びを選んだのだろう。
けっこうたいへんだった気がするけど、これまでの過去生に比べると平和なのかもね。
聖霊に、ガイドされてなかったら、何度も死んでいただろうけれど。(そしてまた何回も学び直す…うんざりだぜ!笑)

霊性探究の学びは続く。

本物の神はけして命令したり恐怖をあおることはしません。

はやく、家に帰っておいで。
と言ってくれるだけです。

LOVE