このところ「降伏する」を公私ともにやり続けています。
人を「助けなきゃ」と思っていた頃は、
人の本質である愛を「究極のもの」として認識していました。
でも今は、そんな切羽詰まったものじゃないのをわかっている。
なんか、もっと、ふつーにあるよね。
当然に
愛だわ。
っていう。
空気は酸素が含まれてます。
みたいな。
むしろそれ以外になんかあるの。
切羽詰まった生き方はドラマチックですが
そんな小芝居はもういいわ
さ、次行こ次。
わたしが癒やしに関わるのは
「助けてあげなきゃいけないから」ではなく
喜びと共に、今を生きるためだ。
子どもが親にとっての師匠であるように
夫婦が互いにとっての陰陽であるように
「相手に問題があるから、変えたい」ではなく
「より良き方向へ、導きたい」ではなく
「自分が、霊性と共に生きていきたい」というだけだ。
巡り合うわたしたちは、
互いにとっての「癒やし手」である。
すべての人は、
愛である。
内側の愛を延長することで、
「投影」のドラマをするりと避けられる。
ただ、存在の愛をゆきましょう。
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