昨日は、みっちゃん(4)が高熱を出したため、病院に行きました。
彼女はわたしのエネルギーがヤバいとき・大きく変わる前などに、私の代わりに怪我したり熱を出したりするという特性があります。
これは、うちの子だけの特性ではないようで。
「お母さんががんばりやさんで、自分に熱が出ようとかまわず仕事するような、自分を大切にしない自己犠牲タイプ」だと、
てきめんに子どもに症状が出ます。
仕事や家事を休まざるを得ない環境を作ってくれるのよ。
今回の場合は、エネルギーの変化の前触れだと思われる。
かように、家族とは「エネルギーを肩代わりしてくれる存在」だったりします。
これって実は、夫婦や恋人間でも、同じことが起きています。
☆
ところで1/31は、愛妻の日らしいですね。
ちょうど、待合室で、芸能人の方の婚外恋愛や薬物乱用のニュースをやっていました。
我が家にはテレビはないので、このようなニュースに触れる機会があまりなく、少し新鮮でした。
まるでお祭りのような扱いにおののきつつ、見ていました。
恋愛や夫婦関係とは非常にディープなエネルギーで繋がっていますので、片方だけに問題の責任があることは「ありえません」。
浮気をされた人が悪いとか、そういう単純な話ではまったくないよ。
そもそも、「不倫」というワード自体が「倫(みち)」が「不(ない、あらず)」という、非常に曖昧な「倫理」という概念に基づくワードです。
この場合の「倫」とは、「一夫一婦制」を守る=「善」という概念に基づきます。
でも、一夫一婦制ではない国もありますね。日本も平安時代などは、一夫多婦制でした。
「善」は、社会やその時代の価値観によって流動するものであり、絶対不変のものではありません。
…というのは、「頭で考えた」理論ですが。
どちらにせよ、「感覚」である恋愛を「論理」である善悪二元論で分断しようなんて、無茶なことです。
それが嫌かどうかは、当事者たちの課題であって、外野が良いとか悪いとか判断できるものではありません。
わたしも、旦那さんとの結婚生活のなかで、遠距離だったころに彼が婚外恋愛をしていた時期がありました。
それは、わたしにとっては「わたしはないがしろにされていい存在ではない」と宣言するために起きた、必要不可欠なイベントでした。
彼の行動は、そのイベントのためのトリガーに過ぎなかった。
というか、その頃のわたしは、これくらいパンチのあることでなければ、自己主張する権利を自分に認めることができなかったのだと思います。
だから、わたしが結婚生活を続けるうえで、このイベントは必要なことでした。
その方との恋愛が、旦那さんの人生にとってどういう意味を持っていたのかは、彼自身が決めることなので、わたしにはわかりません。
私は当時、ないがしろにされたと感じて怒り、彼をひどく責めました。
しかし、何ヶ月か経って振り返ると、あれは私がしあわせに暮らすためには必要なことであったと解ったのです。
でも、婚外恋愛をネガティブなこととして捉えることも、ポジティブなこととして捉えることも、自分次第です。
起きたことは、良いとか悪いとかではなく、「なんのために」起きたのか、を考えると、建設的に生きられます。
物事の全てには本当は意味なんてありません。
しかし、そこに意味をもたらすことができることが、わたしたち人間に与えられた「天地創造」の才能です。
芸能人の方の話題に戻ると。
多くの人の目に触れる生き方をする方というのは、その時代の何かの側面を象徴する存在だとわたしは捉えています。
つまり、その方個人に起きている問題のように見えて、実は時代の何かを象徴している、ということが、往々にしてあります。
人間は個別の自我を持つ生き物ですが、まったく独立して個別の生き物というわけではない。
彼らはこの現実を通して、このニュースに反応する人の傷をあぶり出してくれています。
怒りとは、傷のあるところにしか発生しないのです。
他人の恋愛事情なんて、ぶっちゃけどうでもいいよね。
それでも、「芸能人の不倫」という話題に「もやっとする」「怒りが湧く」という人は、この話題に関わるどんな要素に、自分の引っかかりが起きているのかを感じて見るといいと思います。
「この現象はなんのために起きているのか」を考えるようにすると、論点がかなり変わります。
個人的に、すべての「ダメ男」は妻の潜在意識を代弁してくれる良い男である、と私は思っています。
夫婦、パートナーは、陰陽を補完するのです。
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