Me too運動とフラワーデモのこと 世界を変えるのはお母さんたち

セクシャリティ

性的な被害について、被害者が勇気を出して声を上げ、それが世界的なムーブメントになる時代が来ました。

とてもうれしい進歩であると思う反面、「なんて遅れているんだろう」とも思っています。

この「遅れている」という感覚は、「自分の境界線を侵されることに対して、『NOという権利がない』と感じている人が、世界にはまだこんなにいるのか」というショックでもあります。

「わたしはわたしを大切にしている」というだけのことが、どうしてここまで大ごと扱いされなきゃいけないのか。
「いやだからやめてよ」って言うのは、当然でしょう、と思うんです。

「わたしは、わたしの性を大切にしています」ということは、個人の尊厳に付随することであって、家族だろうと恋人だろうと、侵害されたらきっちり怒っていいことです。

どうしてその「普通のこと」が出来ない社会だったのか、というところに、わたしは集合的無意識における共通の傷を感じます。

「被害者(女性)VS加害者(男性)」という図式に単純化して、硬直してしまわないようにしたいなと思うのです。

対立するだけでは、未来の子どもたちに手渡す解決策とは言い難いからです。

性被害というこの課題は、男女どちらかだけの問題ではありません。

だって、加害者になっている男性だって、「母ちゃんの息子」という存在なのです。

もし、彼にお母さんへの尊敬の心があれば、
育ったコミュニティにおいて、女性の尊厳を刷り込まれていたならば、
軽々しく女性を傷つけることは絶対にできないはずなのです。

なぜなら、女性を軽んじることは、母親を軽んじることと潜在的に結びつくことだからです。

つまり、この問題は「男が悪い」という単純な話ではありません。

男女両性含む、社会全体に暗黙の認識が根底にあるから発生しています。

それは、息子や娘を育てるお母さんたちの「わたしには自己の尊厳をきちんと主張する権利はない」という価値観です。

また、「女の性は、軽んじられるものである」という、共同体全体に蔓延する誤った価値観です。

ちなみに、潜在意識は主語を理解しないという特性がありますので、人を傷つけ貶めることは、そのまま自分を傷つけ貶めることになります。

潜在意識の世界では、「あなたはわたし」が実際のこととして起こっています。

つまり、女性性を貶めることにより、男性性の尊さも失われるのです。

残念ながら、この価値観は、男女両方に、脈々と受け継がれてきたように思います。

そして、この連鎖を止める方法は、一人ひとりの女性が、「わたしの性は大切なものです。わたしは大切にされる権利があります」と、本当に心から信じることしかないのではないか、と思います。


加害者を罰して、適切に償わせることは当然のこととして、「悪者をやっつけて終わり」では、問題の根はそのままなのです

新しい加害者や新しい被害者を作らないようにするには、娘や息子、甥や姪、同じコミュニティに属する小さな人たちに、

きみたちの性は、誰にも侵害されてはならない大切なものだよ。

きみたちは、自分を大切にする当然の権利があるんだよ。

そして、きみたちの権利と同じように、他の人にもその権利があるんだよ。

ということを

伝え、それを体現している必要があります。子どもたちは、口で言うことは聞きませんが、大人がやっていることを真似するからです。

それが一番出来るのは、やっぱりお母さんたちではないかな、と私は思っています。

世界を変えるのは、お母さんたちです。