花は生殖器官丸出しで美しい

からだ

エロスとタナトスとは、一対のものです。
つまり、「生殖することで種を残すか、それともその代で死ぬか」という二元性の極にあります。

お花は隠しどころを隠さず丸出しで存在するが故に美しいという、生命そのものの美を体現しています。

その造形は、生殖に特化しているのですが、
花を見て「なんていやらしい」と目を背ける人はいません。

お祝い事にお花は付き物ですし、フラワーアレンジメント講座とかあるくらいですから、概ね肯定的なイメージをお持ちの人の方が多いはず。

つまり、
生殖にともなう生命エネルギーの美しさを感じる感性が、人間には存在するのです。

しかし、
人間がスッポンポンで闊歩すると、文明国では基本的に通報されますな。

秘められたものに価値を感じる、という人間の探求心により、衣服は(脱がすために)存在するのだろうと割と本気で感じているのですが

わたしも、スッポンポンの人よりは、服を着ている人のほうが、脱がしがいがあるので萌えますが、

それはそれとして。(笑)

「死」を忌みごととすることと
「性」を抑圧することとは
同じことなのではないか、と思っています。

それはすなわち、「生命」のパワーを貶めること。

陰と陽は2つでひとつ。

スッポンポンで生きる必要はないけど
(冬は寒いしね!)

性的なことを「恥」「いやらしい」「汚れている」とする文化は
「生」を歪めるように感じるのです。

AVは見ないのであんまり詳しくないですが、
「美しい女性を汚す」ことに悦びを感じる、という男性の背徳的なファンタジーが多い気がします。

なんか違う気がするのよ。
というか、そんなファンタジーは、「男性の自尊心を傷つける」とすごく感じるのです。

「自分の欲望は汚れている」という罪悪感を抱きながら女性に接する、という集合的無意識は、男性の自信を奪っていく諸悪の根源ではなかろうか。

汚れている、とされた欲求を抱かざるを得ないことは、自己への罪悪感と自信のなさをもたらすだろう。

日本はAV大国だけど、
そこに生命エネルギーを讃える基盤はあるのかしら。
三島由紀夫の「潮騒」くらい素敵なパワーがあるものを、流行らせてほしいな。

もし、性的なことに罪悪感を抱きながら生きているのなら、かわいそうでならない。

そんな教育を受けていたら、男女観も歪むだろうなと思います。

というか
そんな罪悪感を日常的に抱えていたら、
「俺は罪人なのだから、それに相応しい振る舞いをしよう」
と潜在意識で思っていて不思議じゃないです。
セクハラ問題はこうして生まれるのではないだろうか。

性的なことに尊敬を払っていたら、
性的なことを貶めることはできないのです。

あなたの欲望(生命)は、汚れていないよ。

それは、生命の愛の発露だから。

男子もお花におなり。