世代の共有する集合的無意識

潜在意識

私たち夫婦は、私が昭和生まれで、旦那さんは平成生まれです。

平成生まれと昭和生まれで「違うなー」と思うことは
平成生まれの人のほうが自分のハートに正直な人が圧倒的に多い、ということです。


自分軸に沿った生き方を求める意思が強いです。


「最近の若者は忍耐が足りない」とか「すぐメンタルの病気になる」とかよく聞きますが
むしろこれは生き方としてはとても健康なことだと、わたしは個人的に感じています。


自分がイヤだと感じることを続けられないというのは、ハートに従って生きているということ。生き方が健康な証拠です。


一方、昭和生まれの人は 我慢しなくちゃいけない、頑張らなくちゃいけない、という世代的な強迫観念がある人が多いようです。

世代に共通する観念・価値観、「集合的無意識」と言ってもいいですね。

わたしにも、割と昭和の終わりの方なんだけど、ねばならない的な、それ(強迫観念)がありました。

でも、平成生まれの軽やかな価値観に生きる旦那さんと結婚生活を続けるうちに、「あれ?なんか違うかも」という気分になってきたんです。

個人の資質もありますが、全体的な割合で見ても、やはり平成世代は何かが軽やかなのです。責任感のなさとはまた違います。

「全体の幸福と個人の幸福、どちらを取るか」と問われて、「個人の幸福を優先します。全体の幸福はその後で達成します」と、すんなり言える人の割合というか。

昭和の価値観だと、全体の幸福の一択だと思います。個人はその後。という、真逆の答えになります。

恋愛でもそうですが、自分がまずしあわせでなければ、誰かをしあわせにすることは不可能です。

「わたしは我慢してもいい。あの人がしあわせになればそれでいい」という一見けなげな自己犠牲的振る舞いは、誰も幸せにしないので、多大なる勘違いである、ということです。


それに気付いて、

「世間や親が決めた常識やルールより、わたし自身のやりたいこと・やりたくないことを優先させるほうが、自分にとって大切だ」

と振り切ることができた人だけが、新しい生き方ができるし、健康な子育てができるのではと思っています。


昭和の人たち(特に団塊の世代から40代くらい)は、戦争で受けた親世代のトラウマを引き受けていますが、意外にそれに気付いていないことが多いです。鈍いです。


鈍い、というのも実は症状のひとつ。

サバイバルのため、感覚鈍麻により、傷を認識しないようにしています。


それを癒やさないままでいた結果、子ども世代に各種「問題」が出てきているのが現代日本だと、わたしは感じています。

不登校とか家庭内暴力とか自殺とか各種「子供の問題」とされること。

(まあ、不登校は、これからの時代学び方にも多様性が認められていくので全く問題ではないし、むしろ進んだ価値観を体現していると言って良いと思うのですが。)

でもホントはその「子供の問題」は「子供自身の問題」ではないんですよね。


その根っこにあるのは親の側の傷です。

子供のことで悩んでいる人に、「あなたがお子さんの年の頃って、どんな感じでした?何されてました?」と訊ねると、問題を起こしている子供と同い年くらいで、ものすごい抑圧や葛藤を抱えていた、というケースがとても多く見られます。

しかも「それについて自分は忘れていた」ということが多いです。

あなた(親)の傷を癒やすために、子供はそれを現象化している可能性があります。


多くの場合、子ども側の各種「問題」は親世代側の傷をきちんと手当てすれば「問題ではなくなる」とわたしは思っています。

「ここに、傷があるよ!」と子どもたちは一斉に教えてくれているんです。

自分の身を削ってまで。

無駄にしたらいけないよね。

今日も、あなたと世界に、愛を。